2018年9月13日木曜日

ちとふな・ノスタルジー その2

先日、学校の文化祭時における来場者向けの保険の手続きに千歳船橋まで行ってまいりました。
そう学生時代の思い出の地でもある「ちとふな」へである。

その日は公共交通機関の影響と自身の少しばかりの体調面の不安もあったため、急きょクルマで出かけることとしました。

学生時代、千歳船橋駅から自宅のボロアパートまでのわずか10分程度の道のりしか知らなかったため、少しでも脇道に入ろうものなら、ご存知の方なら同意いただけるであろう、まるで迷路である。
現在僕が住まう足立区も一筋縄ではいかないくらい難しい道が多いがその比ではない。(元々、江東区出身である僕は、江東区特有の碁盤の目のようなタテヨコはっきりした道に慣れているため、なおさらだ)


いまどきはクルマにカーナビ必須だし、ケータイにはグーグルマップもついている。

よほどの事がない限り迷子にはならないものの、なにぶん慣れない土地の、駅からそこそこ離れた場所に駐車してしまった。

右を見ても左を見てもさっぱりわからない。目的地の学校はすぐそこだというのに、この斜めにグネグネと入り組んだ道はなんじゃ!?

少し歩いてはその付近の写真を撮り、また歩いては写真を撮り。グリムのお菓子の家のは話じゃあるまいし我ながら情けない。

ようやく目的地に到着したところ、「ふなばし歴史散歩」の看板が。
斜めの小道に行き止まり、公園に学校もたくさん。
これは迷わないわけがない。。。

 でも千歳船橋の魅力はこういった入り組んだ小径(こみち)にあるのかもしれない。
学生時代にはほとんど気がつかなかったが、きっとそんな脇道や家々の間の細道に昔懐かしい光景や新たな発見がきっとあるのだろう。

生まれ故郷の江東区亀戸にもそんな小径はたくさんあった。
当時は未舗装の土の路面にでこぼこの小石、躓いては転び、そしてあちこちでノラネコがうじゃうじゃ。

やはり学生時代のノスタルジーとともに、小さいころの下町の遠い記憶と重なる何かがあるのかもです。

そう変わらず「千歳船橋」の土地が大好きである。

2018年9月5日水曜日

怒り・・・忍耐

自身のイライラをコントロールする方法として、その時の自分自身を客観視するといいと聞いたことがあります。

たしかに些細なことでついイライラしているそんなとき、自分を第三者的に見てみるとあまりにくだらない事にイラついていることに気づき、恥ずかしくなる。
「あーあー、そんなことで怒っちゃって、、みっともないわね~」
て感じになり、落ち着きを取り戻す。

一方イライラなんてレベルではなく、怒髪天を突く勢いで怒り心頭な場合、そんな自分を客観視する余裕なんてない(というより頭に血が上るほどの怒りで、そんなこと思い出しもしない)。

今日、ある方(組織といった方がよい)の許し難いイジワルで、久しぶりに頭から湯気が出るほどの怒りで自分自身を満たしてしまいました(いま思うと恥ずかしい)。
勢い勇み、電話に手を伸ばしかけたとき、大切な家族の顔やウチのスタッフさんの顔が思い出された。

・・忍耐・・

怒っちゃダメ、後悔するよ。と脳裏に浮かぶみんなが言っていた。
ワナワナ震えるその手を押さえ、怒りをぐっと、、、、そうぐっと呑み込む。

インターネットのパイオニアと呼ばれた「ジョン・ペリー・パーロウさん」なる詩人の方が『25の大人としての行動原理』なるものを発表しているそうだ。

その一説に「1.何があっても忍耐強く振る舞うこと」とある。
以下2~24まで続き、そして「25.そして最後はやっぱり忍耐強くあること」で結ぶ。

25コもあるので全てを覚えることは適わないが、僕に大切なことは常々「忍耐」であると思っているので(笑)、スマホの中にこの忍耐を含む25コのお説をいつでも見直せるよう保存してある(すぐに忘れるが)。

そもそも僕を怒らせるヤツの今回の所業を看過することは出来ないが、しかし必ず巡り巡っていつかどこかで裁かれるハズだ。

ということで今日は怒りをぶちまけなかった僕に対して、爺やが「殿!よくぞガマンなされた!」と褒めてくれたということにしよう・笑。

2018年9月3日月曜日

厄災

府中刑務所付近
先日免許証の更新の為、神田の免許証更新センターへ手続きに行って参りました。
残念ながらゴ-ルド免許ではなく、普通の青い免許証です。。。
でもここしばらく無事故無違反で過ごしていた為、次の免許証更新は5年後となりました!

しかし毎回免許証更新の講習を受ける度、ハンドルを握るものならドキッとさせられる場面を見ることになります。

幸い免許取得後35年、ここまで自動車やバイクの運転で大きな事故を起こすことなく過ごしてきてはいますが、一歩間違えば今頃塀の中ということもなくはない。。。と反省させられることも少なくありません(いま思えば若気の至りでは済ませられない・・・)。


最近の報道を見ていると飲酒運転にあおり運転、スピード違反に信号無視。

クルマを運転するもののありとあらゆる違反行為が人の命を危険に晒していることは誰しもがわかっているにも関わらず、自動車事故による犠牲者はなくならない。

いやクルマに限らない。自転車でもスマホ片手にイヤホン装着という方をよく目撃する。
あるいは自転車にお子さんを乗せて、一時停止の標識のある交差点をノーブレーキのノールックで進入してくるお母さん。

若かりし免許証取り立ての頃、ある方より「相手が避けてくれると思ってはいけないヨ。」というアドバイスをいただいたことがある。
その通り。
ハンドルを握っていて「怖いと思うくらいがちょうどいい」と言われたこともある。
そう、油断大敵・火がボーボーというヤツだ。

一方で歩行者であれ、自転車であれ、法令上「優先権」はこちらだと言わんばかりにムリを承知で通行、走行している方を見かけることもある。法令に則ればその通りではあるけれど、しかしそのムリが、たまたま出くわしたルール違反をおこす無謀な運転をするものの手により命を落とすことになったり、ケガを負ってしまうことに繋がっては元も子もない。

厄災にわざわざ首を突っ込むようなマネはせず、ルール違反をする輩に多少の腹立たしさは覚えたとしても、自身の身の安全を第一に考え、帰りを待つ家族や友人や仲間のことを考え冷静に行動してほしいと思う。

そう、僕自身のことだ。。。

2018年8月29日水曜日

Stormbringer

7月から続いた暑い8月が終わろうとしている。
とはいえ9月もまだまだ暑いらしい、みなさん体調にはくれぐれも気をつけて。

さて何も書くことがなく、そして1週間以上放置してはいけないと思い、所属しているバンドのことを書こうと思いました。

7月の惨憺たるライブのあと、次のリハーサルは10月からと決まりました。

今度の目的は「DEEP PURPLEさん」の第3期に属する『Stormbringer』というアルバムの全曲制覇となりました。
そうです、このアルバムに収録されている全9曲をコピーするのです。

このアルバムはそれまでの「DEEP PURPLEさん」に多くの方がイメージされていたハードロック的な要素よりも限りなくブルージーな側面を持ったコンパクトなアルバムという印象です(誤解を恐れずにいえば少々地味なアルバムではある)。

個人的には10月のリハに備え、ようやく頭から数えて3曲目までのコピーを済ませたところですが、このコピーをしていて感じたのがアルバムタイトルにもなっている1曲目の「Stormbringer」という曲。
この曲はライブテイクも多数あり、「DEEP PURPLEさん」にとっての代表的作品ベスト20には入るのではという佳曲なのですが、改めて今回の機会をもって完コピしようと思い立ち、ライブテイクではなく、オリジナルのテイクのまま特にギターソロはきちんとコピーしてみようと思いました。

すると今まで相変わらずギターの「リッチーブラックモアさん」がゴチャゴチャとした手癖で適当に弾いているのではと思いこんでいた箇所(2:40あたり~)が、決してただの手癖によるゴチャゴチャではなく、一音一音計算され尽くしたシビれるギターソロであったことに今さらながら気がつきました(本当に自分が情けない)。
文字ばかりで何が何だかかとは思いますが、とにかく若かりし頃の「リッチーブラックモアさん」のギタープレイの神髄を垣間見た一瞬でした。


何とかかんとかコピーをし終え、まだまだ精度も低いけれど、忘れないように自分の備忘録として撮影した当該ソロの部分を以下にリンクしておきました。
くれぐれも「弾いてみた」シリーズでもないし、特にスピードも遅いからね。
繰り返すがあくまでそのフレーズと自分の運指を忘れないよう撮影したものである(年とると忘れちゃうんだよね)。
よってこの動画をみて寸評だけはお許し願いたい・笑

Stormbringer ギターソロ備忘録

何より伝えたいことは僕がギター弾きとして愛してやまない「リッチーブラックモアさん」の素晴らしいフレーズ、演奏に今さらながら気がつくことが出来た。
その機会を与えてくれているこのバンド活動及びバンドメンバーのみなさんに感謝したい。
10月のリハ再開が楽しみです。

2018年8月24日金曜日

10年ぶりの訪問(@東新橋)

まだ会社員だった10数年前、とある大口団体の保険募集でノイローゼ気味になってしまったことがある。
類似の団体同士の調整含め、それこそ上へ下への大騒ぎ。クレーム電話やお詫びの訪問は星の数ほどで、随分苦しい時期を過ごしていた。
それらが幸いしてか、今ではそのジャンルに関しては誰にも負けないほどの知識と対応力を備えていると自負している(なんちゃって・笑)。

8月24日(金)は台風の影響か、雨・風ひどい午前中、お世話になっている「難病を抱えるこども達を応援している団体さん」の事務局がある新橋までお伺いしてきました(こうみえて当社はその団体さんの賛助会員である)。
理事兼事務を兼ねる大変お世話になっている方と様々ご対応を済ませたところ、先に記した10年前にノイローゼ気味にまで追い込まれてしまった某団体さんのことを思い出した。。。

そうその団体さんも新橋に事務局があるのだ。

会社を辞めてはや12年。その団体さんにお伺いしても既に周囲にご迷惑はおかけせぬだろうし、そもそも何ら利害があるわけではない(仮に利するところがあったとしても、コンプライアンス的に怖くて手を出せる案件じゃないし・笑)。

アポも取らずの10年ぶりの突撃訪問。

ピーク時はそれこそ毎日顔を出し、少なくとも週に1度、理事会などは月に一度開催され(懇親会などは年がら年中(名誉の為に言えば皆さん自費である)、飲み会の苦手な僕はお偉方に見つからぬようそそくさと逃げ帰るのが常だった)、良くも悪くもその団体の為の仕事しかしてなかったといえるほど頻繁に通っていた。
しかし西新橋から当の事務局がある東新橋の場所をこともあろうに忘れており(右も左もわからん!!)、右往左往しながらもようやく到着。

実は、まさか往時の皆さんがまだ在籍なさっていらっしゃるとは思っていなかったので、事務局のそのお部屋に懐かしいお顔を見つけたとき、そしてあのノイローゼの元とも言うべきパンフレットが収められているピンク色のダンボールなどを数箱見つけたとき、思いのほか苦いことよりも多くの成果を出せた楽しかった時の記憶、ふんわりした柔らかな気持ちに包まれました。

懐かしの皆さんに温かく迎えられ、旧交を温める。
(もしかして迷惑ではないかと頭をよぎるも、よほどのことがない限り今回を最後にもう訪れることもないだろうからお許し願おうと居直ってみる)
当時お世話になっていた様々な方のお名前や近況もお聞きした。中には亡くなってしまった方や闘病中の方もいるとのこと。

それにしても年を取ると10年前などつい昨日のことのようだ。
これを機に何かが始まるわけではないけれど、でも人の縁は巡るもの。

この投稿を読んだ方でこのことに気がつく人はごく少数だ。
でもまたいつかどこかでご関係の皆さんと縁があるといいと思うし、そして何より関わった皆さんが息災に過ごしておられることをお祈りしています。

2018年8月20日月曜日

野球観戦

久しぶりのプロ野球観戦@東京ドーム。

お客様より譲り受けたチケットを握りしめ、まるきり野球好きでない家内をお供にデーゲームを観戦して参りました。

・・・あれは遥か数十年前、小学校5年生くらいのことだろうか。

父に連れられ初めて後楽園へナイターを観に行った「巨人対大洋戦」。
結果は現・横浜DNAこと、大洋ホエールズが勝利した試合だったのだけど、カクテル光線に照らされた鮮やかな緑の芝生、末次選手のかっとばしたホームラン、あの華やかな様を今も忘れない。

昔は屋根ナシ球場しかなかったし、今と比べればチケットの入手は容易であったため、ナイターなんかであれば夕方5時くらいに当日券で外野席に着けば楽々座れた。ゲーム開始のほんの少しの間、夕方のほの暗くなってきた青空と、風に揺蕩うタバコの煙、「ビールいかがでしょう!!」と叫ぶ野太い男子売り子の声を耳に、プレイボールの声がかかるのをわくわくして待っていたものだ。
それこそ昭和の時代の野球場はそれはそれでとても良かった。
ここまではノスタルジー。

今でこそドーム球場が増え、中止になるリスクは激減。かつデーゲームであれば、日焼けを気にしなくてすむご婦人方にとっては大変過ごしやすく、何より球場全体の演出を含め昔とは比べ物にならないほど華やかだ。

さて実際のゲームといえばこの日は巨人のワンサイドゲーム。
序盤にHRが何本も飛び出し、写真の通り巨人ファンの面々はみなオレンジのタオルを振り回し、ビール片手に狂喜乱舞。球場内の巨人ファンがみな一体となったゲームだった。

サッカーと比べて野球は世界的に見ればまだまだマイナーなスポーツだ。
なのでサッカーのワールドカップなんかの盛り上がりと比べちゃいけないが、しかしこうみえて一応生粋の野球ファンであるし、野球に関してはそれなりの造詣がある。
そのせいかどうか、最近はなかなか熱くなれないのだが、こうして大勢の野球好きが無邪気に盛り上がって熱くなっている様子を見ていると何だかとても嬉しくなってしまった。
まだまだプロ野球も捨てたもんじゃないね。

2018年8月13日月曜日

ライブ中止

8月13日・月曜日。午後1:30過ぎ。

急に土砂降りになりました。雷もゴロゴロとなり、不安定な天候が続きますね。
一雨ごとに涼しくなるとのこと、まだまだ暑い日が続くとは思うけど、季節は少しずつ移っていっているのでしょう。


さて、本題。
7月の惨憺たるライブのリベンジとばかり、9月末に予定されていたライブでは何とか自分を取り戻したいという一心で毎日練習に励み、さらには以前の投稿でも書いたように足元周りからギターの調整まで余念なく過ごしていた今日この頃。

それが昨日、突然バンドリーダーさんよりご連絡をいただき、別のメンバーさんが大けがを負われたとのこと。
命に別状はなかった為それが何よりでしたが、しばらく入院を余儀なくされるため、ライブは中止せざるを得ないということになりました。。。。
(ちなみにバンドリーダーさんからはケガを負ったメンバーさんをすげ代えてでもライブを敢行するという選択肢も呈示されましたが、それは個人的には筋が違うと思い、丁重にお断りしました)


元々ライブは苦手ゆえ、喜び勇んでというメンタリティではなかったものの、実はそのライブを一つの区切りとしたかったので正直拍子抜けとなってしまいました。
今後バンド活動に関しては思うところがあるため、また最終的な判断はゆっくり考えてゆきたいと思っています。

ではまた報告致します。(まじめ・笑)