自身の回顧録みたいなものです。 1年前の9月30日(火)。
結腸膀胱瘻という比較的珍しい疾患により、順天堂医院・大腸肛門科にて13時間近くに及ぶオペを過ごしてからちょうど1年が経過しました。
ここ数日、「ちょうど1年が経ったのか・・」という思いと、当時の記憶をわざと反芻するそんな日常でした。
自身、そんなことに想いを馳せて何の意味があるのかわからないのだけれど、当時の強烈な記憶がこの季節感とともにフラッシュバックさせるのかもしれません。
詳細は1年前のブログ「闘病日記そのゼロ~4」を読み返すと良いのかもしれない。
オペ前日の夜。服用するよう指示をされた下剤によりモーレツな下痢をしていました。
病室に何度も看護師さんが訪れてくれたものの、その都度トイレに籠っていた僕に「また来ますねー!」と声をかけて下さった。
ホント、申し訳ないと思いつつ、その下痢は恐らく2時間以上続いたそんな記憶がある。
そしてようやくひと段落した20:30頃、看護師さんが人工肛門を造設するためのマークをおなかに書くので、協力してほしいという。
「やはり人工肛門は決定ですか・・・?」と聞く。
「そうね、そうかもね。。。」と言葉を濁すが、案の定決定のようだった。
人工肛門を作らず何とかしてくれるんじゃないかという一縷の望みは、その会話でいとも簡単に打ち砕かれた。
ひどく落胆してしまったけれど受け入れるしかない。
そうこうするうちに、1時間くらいかかったろうか、右の写真のようなマークをおなかにつけられた。
この黒丸のどれかから人工肛門が造設されるということを知ったのはオペ後なわけです。
(青の二重丸のところはここから切除した内臓をひり出す切開予定の場所のようです)
当日、オペの様子の詳細は以前のブログで書いた通りです。
オペ後翌朝5時くらい、呆然とベッドの上で身動きできない状態の写真が上の顔です。ホントに呆然としている。顔はいささかむくんでもいるようだ。
ようやく自身を取り戻しかけた頃。
おなかのガーゼやら何やら、管だらけの状態を看護師さんがチェックしていたとき、「そうだ、自分も写真を撮っておこう」と自撮り(笑)をしたときの様子です。
・左サイドはおなかの排液管理のためのドレーンが刺さり(ガーゼで覆われている)、
・中央部は内臓を取り出したときの切開キズ。
・その他3か所に手術の時の腹腔鏡の穴があいており、おしっこは管からオートで排出されています。
オペ後、初日~3日目くらいまでがどうにもこうにも不自由で、麻酔兼痛み止めの薬が合わなかったのか、夜中に朝にベッド上で何度も吐くし、おまけに肺血栓も見つかったとのことにてなにかの薬が注入されたり、多くの病棟看護師さんのお世話になりました。
本当にお世話になったのです。
だってこんなおじさんのおしっこや便、おまけに吐しゃ物などの処理まで鼻歌まじりに平然と行い、体中管だらけの不自由で動けない僕の体もあちこち拭いてくれたのです。
感謝以外に何があろうか。
そんな1年前の日々は、今は当時の苦しさよりも、徐々に美化されてしまいつつあります。
一番お世話になった主治医のドクターは今年の8月に系列の病院へ栄転されたことを知りました。
その他の医療従事者の方々も少しずつお名前を忘れかけてはいるけれど、病院のSNSなどでお顔を拝見できたときなんかは、とても元気そうなその様子に嬉しくなりました(元気かどうかはわからないよね、大変な職場だもん)。
また明日は順天堂医院さんへ外来診療の為お訪ねするわけだけれど(明日は循環器)、病棟の皆さんの息災を、健康でお元気に、そしてムリをせずお過ごしになられることを心から願っています。















