2014年9月28日日曜日

iphone_6

友が今まで愛用していたボロボロのガラケーから、生意気にもかの「iphone_6」に機種変をしたのだ。

しかし随分と老眼が進行している友(同級生だ)にとっては、ガラケーのちっさい画面よりも、スマホのでっかい画面の方がネットやメッセージツールなど全てにおいて扱いやすいことだろう。

またどちらかというと機械音痴な友のこと、スマホにせよ何にせよ最近のガジェット系ツールは直感的な動作で、かつ誰にでも使いやすく出来るため友にとってはとても良いことと思う。

娘も息子も「i_phone」だ。
わが社の大切なスタッフさんのFちゃんも「i_phone」
バンドの水野君も、Tちゃんも、右を向いても左を見ても、誰も彼もが「i_phone」である。

スティーヴ・ジョブズさん亡き後も、日本においてはまだまだappleさんの勢いは止まらないようである。

そこへいくとこのヒネクレ者の僕は頑としてandroid端末一筋である。(といってもまだ3台目)
この度も諸事情により先月初めに機種変をした。

京セラ製のガテンケータイ「torque 01」だ。
(企業としては大変立派な京セラさんではあるが、ことケータイとなると何やらマイナー感がハンパない(悪口ではない)。)

興味がある人は(いないと思うが)京セラサイト、またはauサイトへ行ってほしい。

まあ見た目からして明らかに異質な空気感を放っている端末である。
ゴツイし、分厚いし、おまけに重い。スペックもそれほどいいわけじゃない。
それでもこのケータイが目指すニッチ感にゾクゾクするほど惹かれるのだ。
それとほとんどの人がこの端末を所有していないだろうオリジナル感。。
(でも同じケータイを持っている人を見つけたら「おぉ!我が友よ!キモサーベ!」と感じてしまうかもしらん」)。

こうしてヒネクレて、みんなが好きなものからどんどん離れてスネてやってるようにしているくせに、フタを開ければ、「野球は巨人」、「ハードロックはパープル(ツェッペリンではない、ここは筋を通しているのだ)」、「日本の音楽はミスチル」、「サッカー日本代表も香川も本田も大好き」。

こと趣味に関しては王道である。

そう実はi_phoneも本当は好きなクセして意地張って。。。
そんな意地っ張りでアウトロー気取りをキメ込んでる自分も好きである(笑)。

2014年9月26日金曜日

デング熱と傷害保険

今更ではありますし、あまり本業ネタは好きじゃない。
でも触れておかねばなるまいか。。。

ケガの保険で毒虫などに刺され患部がはれ上がり加療した。
これは通院保険金の対象となる可能性が高いですね。

傷害保険のお引き受けが特に多い僕の会社では、現に今まで何度となくお支払手続きをしてきました(って当社が直接保険金をお支払するわけではないけど)。

デング熱に関してはどうでしょう。
結論としては傷害保険においても、傷害保険の特約~特定感染症特約でも保険金お支払の対象にはならないという公式見解が示されています(損保ジャパン日本興亜㈱)。
理由はデング熱とはウィルスが原因の第4類感染症であり、傷害保険に付帯する特定感染症として対象の第1類~3類に属していないから。
こんな感じ。。。
(医療保険はまた別の話なので斜め読みして誤解しないよう)


そういえばつい2ヶ月位前の事だったか。

夜間自転車で事務所から自宅への帰り道、一瞬のことでしたが、前方よりデカイ蛾が正面衝突をしてきて、僕のシャツの中に潜り込んできた。
(そのときは気づかなかったのだが、家に帰ったあとで、お風呂に入る為シャツを脱いだところ、胸元のど真ん中にデカイ蛾が張り付いており、それを見つけたときにはそれこそ卒倒しそうになった。タトゥかと思ったし~そんなのシャレにならない)

その日の晩より見る見るうちに僕の胸元からおなか、首筋や腕にかけて真っ赤に焼けただれ、焦土と化した世界地図が描かれたかのように腫れ上がってしまった(後日皮膚科に足を運んだところ医師も看護師も「こりゃあヒドイねー!」と一刀両断。あまり傷つくことを言うもんじゃないと心が折れそうになったほどだった」)。

幸い1週間ほどで完治もし、痕も残らなかったけど、そういえば傷害保険に入っていなかったことを悔やんだことはいうまでもない。
医者の不養生というわけではないけど、つい自分の保険の事を後回しにしているなんて、、
こんなんではお客様にもしっかりご案内できゃしないですね。
反省です。

2014年9月23日火曜日

ギターとセッティング①

こうみえて一応ギター弾きです。
直近では10月5日にライブがありまして、しかし体調不良による食事制限により(もちろんお酒は厳禁)、よっていつもの泥酔しながらのイカレギターは繰り出せず、シラフでど緊張のライブとなるでしょう。

まあそれはよいとして、相変わらずギターやアンプのセッティング、そしてエフェクターの種類やつなぎ方、もちろんエフェクトのつまみレベル一つ一つに細心の注意を払い出音を確認しています(そんなつもり・笑)。

もちろんその時々の気分もあるので、一概に言えないのですが、今表現したいと思っている出音があり、それが今までなかなか実現出来なかった。

それがつい先日の日曜日のリハーサルでのこと。
僕は2つのバンドに参加させてもらっているのですが、そのバンドのうちの一つでリハーサルが行われました。するとたまたま他のバンドに所属するベース弾きの友人が僕らのリハを見学させてほしいとスタジオに。。。

元々上がり症の為、かつリハーサルの様子を見られるのはとても苦手であるのですが、せっかく遊びに寄ってくれているのだからむげにも出来ない。

日頃大音量になりがちな僕のギター。友人もいることだし、あまりうるさくし過ぎないよう、おとなしめのセッティングにしてみようと何気にいじったセッティング。
・・・お?この音は?
もしや、目指したかった出音のど真ん中ではないか?

おそるおそる耳をそばだてメンバーの出音とのバランスを整えつつ、よーく聞いてみる。
ムム!歪み過ぎないエッジの効いた良い音が出ているではないか。
「とうとう見つけた!」と内心ほくそ笑んでおりました。

勿論、真の理想とする出音にはまだまだとは思うし、音作りに終わりはないのだと思うけれど、久しく追い求めていた音が出ている。
『・・・こうするべきだったのか!』と自らが見つけたその組み合わせの在り様に喜びと大いなる感動を感じた次第!

備忘録的に書いておくと・・・

・ピックアップはシングルハムのセンターを使用(センターとフロントのハーフでも良い)。
・アンプはジャズコのミドル抑え目の全体12時。(最近ジャズコを使うのです)
・エフェクターは写真の通り、前段にブースター(12時~2時)、高段にオーバードライブ(ゲインを9時~10時の抑えめとすること)

これで、歪み過ぎないギーン!っというシビレルナイスな音が出ました。

次のライブ前にもう一度リハーサルがあるので、これでまた試してみようと思います。

ふむふむ、日々精進である。


(おまけ)

そのスタジオに入る前、フロントで他のバンドさんが出てくるまでの間、そのスタジオから漏れ出るバンドさんの音を聞いている。(「ルビーの指輪」を演奏しているようだ
くぐもってはいるものの特徴的なドラムとベースのリフがリズミカルに漏れ響いている。

初めてバンドを始めた頃のような高揚と焦燥感。

楽器屋さんやライブハウス、スタジオでよく聞こえる他のバンドさんの演奏。
これがみんなうまそうに聞こえる。(本当にうまいバンドさんもたくさんいる)。

改めて音楽活動を続けていてよかった。
音楽の仲間がいてくれて本当によかったと思った。

2014年9月22日月曜日

餅は餅屋

少し辛気臭い話です。

つい一昨日、夜中に母より連絡があり、具合が悪いのだという。
正直救急車を呼ぶかどうするか迷っていたところ、家内に電話を代わってもらった。

家内は医療従事者である。

母より一通り症状をあれこれ聞いたあと、日頃母が通う病院の診察券の内容を聞き写し、そのままその病院に電話をかける。
まさに医療従事者としての専門用語をビシビシ投げかけ、夜間ではあるが救急車を使わずに受け入れが可能かどうか、あれこれ手配をしていた。

結果、残念ながら受け入れ不可であり、また実際救急車を呼ぶかどうかの症状もはっきりわからないため、そのまま母のもとへ急ぐ。

母の元へ着くや否や、家内は母に優しい葉をかけ、脈をはかり、おなかをさわり、口の中を覗き込んだり、あれこれやっている。
傍らで何もできない僕はただただ呆けてその様子を眺めるだけである・・・。

全くもって役に立たない男である。


家内は学校でPTAの仕事もこなしている。
ある日、PTA行事で事故があり、ケガ人が出たとのこと。
大事に至らなかったため何よりだったらしいが、保険の手続きがわからないのだという。

これは正に僕の守備範囲である。

当社のご契約ではないが、あれこれアドバイスやら書類の書き方やら簡単な手配・お手伝いをさせていただいた。


家内は医療従事者として、僕はしがない保険屋としてそれぞれ25年以上のキャリアである。

人それぞれ様々な経験を積み重ねている。
電器屋としてのキャリア、主婦としてのキャリア、音楽家としてのキャリア、スポーツ関連としてのキャリア、教育家としてのキャリア、サラリーマンとしてのキャリア。

一時、僕自身、保険屋を続けていくことに悩んでいたことがある。
そんなとき知り合いのドクターさんが「何年その仕事やってきたの?20年!?モッタイない!!」とそんな何気ない一言で思いとどまったことがある。

まあ僕なんて大したモンではないけれど、普段、家ではグータラしている家内が、医療従事者としてスイッチが入った途端、鬼のような仕事ぶりにホントに感心させられた。

もちろんただ長いというだけではなく、それまで何を成してきたか。そしてこれから何を為すのか。

これからも日々経験と精進、キャリアに驕ることなく謙虚に取り組んでいきたいものです。

2014年9月17日水曜日

チビネコ

今から13年ほど前だと思う。
長女がまだ幼稚園児の頃、家の近所でミーミーと鳴き声がするので、表を見渡すとダンプといっていい大きさのトラックの下、シャーシだか管だかわからないゴチャゴチャしたところに挟まってしまったまま見動きできそうにない子猫を救出・確保した。明らかに産まれて数か月だろうか。
取り急ぎドロだらけでカピカピの体をよく洗い、ミルクをほんの少し与え、このままウチで飼うかどうか思案した結果、当時長男がまだ1才くらいであったこと、家内が育児で大変な最中、ネコの世話まではプレッシャーなどの理由からウチで飼うことは断念。
その日のうちに千葉県市原市に住まう父母のもとへ急行、ネコの扱いに慣れている母に強引に預け、チビは足立区から千葉県の住人となった。
元々かなり弱っていたらしく、脱水症状やら何やら、一命を取り留めるのにえらく苦労したらしく、あとで散々文句を言われたものだ。(たしかにクルマでチビを実家に連れていく道中、下痢をしっぱなしでクルマを運転する僕のおなかのところでぐったりしていた。今を思えば何という暴挙だろう。まずは動物病院だよね。ごめんなさい)
しかし一命を取り留め、我が父母の手厚い看護と愛情と、実家にウジャウジャいたその他のイヌネコ動物との交流の甲斐もあり、すくすくと育ってくれた。

しかし年月が経過し、1年に2回ほど実家に帰る僕の姿を見るなりこのチビに関してだけは何処へと隠れてしまう始末。元々トラックの陰から救い出したオレ様を何だと思っているのか。
そうはいってもまずまず、元気に過ごしているようで何よりであった。

・・・そんなチビがつい先日近所に住まう母のアパートで亡くなった。

僕はよく路頭に迷っているネコを拾う。
あるいは人が拾ったネコをよくもらう。

動物を飼ったことがある方ならその悲しみのほどはどれほどのものか。
言葉で表現するなんて僕のような語彙のない、それもこんなブログの1ページで表現すること自体到底ムリだ。

でもいつも後悔ばかりを感じてしまう。
もっとおいしいゴハンをあげればよかった。
あれもダメ、これもダメってしなきゃよかった。
あのとき、こうしていればよかった。。。と、そんなことばかり。

今もウチには1匹、凶暴なネコ(♂)がいる。
毎日彼と闘うのは楽しい(長男も彼にとっては襲撃の対象となっている)。

新聞を読んでればその新聞の陰からお尻をふりふり飛びかかってくる。
テーブルの下に隠れ、突然人の足に飛びかかってくる。
または休日についうとうとと昼寝などしようものなら、わざわざおなかの上をズカズカと歩いて通ってゆくこともある。みぞおちに入った日には息も止まりそうである。
早朝、寝込みを襲われることもしばしばで、人の布団のスキマからツメを突き出した手を突っ込んできてはチャチャッ!と引っ掻いてくる始末。(これは誤解しないでいただきたい、おなかが空いてきて僕を起こしにくる所作である)

こんなヤンチャで凶暴な彼には彼が最もキライとするお風呂で「シャンプーの刑」に処するのだ。

・・そんな彼であるが、いつか別れる日が来ることはわかっている。(もちろん健康に過ごせばあと10年は生きると思うけど)
とにかく長生きしてほしい。

どんなに人を引っ掻いたり、噛んだり、ネコキックをしようとも。
ゴキブリを見つけて知らんぷりしてようとも。
僕の服の上で寝転がって毛だらけにしようとも。
家内と長女には甘え、僕+長男連合と抗争が激化しようとも。

何だかんだいっても、ゴハンの時間だけはニャーニャー鳴きながら僕の周りをグルグル、グルグルしてるのだから。

2014年9月13日土曜日

保険代理店とポイント制度

業界の方だけお読み下さればよいし、逆に読むに値しない程度の話である。
これは様々な意見があろうからそこはそれ、あまり気になさらないでいただきたい。(ちなみにオチもない)

ご承知の通り、現在の損害保険代理店はお客様からお預かりした保険料から一定割合を乗じた金額を手数料(売上)として保険会社経由で頂戴し成り立っている職業である。
そしての一定割合を示すものが手数料率であり、保険会社からみて魅力ある保険代理店にはさらに一定の加算率(ポイント制度)を乗じるものである。

数式としてはこうである。

・保険料×手数料率×加算ポイント(率)=代理店手数料

しかし一部の大手代理店やディーラー系の代理店、その他保険会社にとって魅力ある(力のある)代理店以外の大多数はこのポイント(率)が100%以下であろう。
要は同じ保険料を取扱いながらA代理店は1万円をいただき、B代理店は3000円しかいただけないといった差が生じるのだ。

当社もご多分に漏れず、この加算ポイントは目も当てられないほどのヒドい数値である。友人からは「よくそんなんで代理店やってるネ」と呆れられる始末。
しかし好きでやっているこの職業。同じ保険料を取り扱いながら、他の大手代理店より少ない手数料しかいただけなくとも本人がいいと言ってんだからいいのである。
お客様が当社を評価して下さる限り、石にしがみついてでも続けたいと思っているのだから(今のところ)。

そうは言っても先立つものがなければ何も出来ない、キレイごとばかりでは成り立たないのだ。

そこでこの2014年3月、5年ほど前より個人的に親交のあった東京海上日動グループの中の「日新火災保険」という保険会社の代理店登録を行うことを決めた。
そう、この日新火災というところは先のポイント制度がとても保険代理店思いのいい会社なのである。もちろんやるべきことをやらなければダメであるが、その優劣はあくまで保険代理店として自立していることが最重要なのだ。
※成長性とかなんとか都合のいいこと言って、規模だけは大きくても自立できていない保険代理店はそれこそ腐るほどある。(別にそれはそれで保険会社がいいと思うのであればそれに文句をつけるつもりはない)

そんなこんなで意を決して取り組んだ日新火災との代理店登録手続き。何とか既存の損保会社2社から日新火災の代理店を新たに取り扱うことの承諾を取り付け(そもそもなぜ承諾がいるのか?保険会社にとって都合のいい理由はいくつか思い浮かぶが、全くもって大きなお世話だと思うが)、無事この4月から日新火災の代理店も始めることができた(合計で損保は3社になった)。

こんなにスムースにことが運んだ理由はいくつかあり、タイミングも良かったのであるが、普通の保険会社は自分のところの代理店が、新たな保険会社の取引を増やすことをイヤがることが多い。
そりゃそうだ、今までヤマザキパンしか扱ってなかったパン屋が急に第一パンを扱うようになれば売り上げがバラけるに決まってる。

または「そんなの認めない!浮気なんて許さない!」ってキーキー騒ぐ保険会社もあるだろう、しまいには「そんなに浮気したいんなら覚悟しておきなさいヨ・・・」と脅す保険会社もあるかもしれない(僕は以前、ある保険会社の支社長さんから「業界で生きていけないようにしてやるゾ!」と恫喝されたことがあるくらいだ)。
そんな正妻の報復措置を受けることを恐れ、浮気することが出来ない代理店さんもあることだろう(もとい、浮気じゃない、本気なのだ)。
しかしおかしなもんで、当の正妻も取引のない代理店さんのところに行っては、「アタイといいことしな~い?」って色目を使っているのだから。
要はお互い様なのである。

・・・何かたとえがおかしくなってきた。

もちろんこのままこの3社の損保さんの取扱いで代理店としての営業を続けていけるとは思っていない。いずれ収斂することになるか、収斂しつつ別の取引先との縁を増やしたり、多少の軸足を変えていきながら残りの保険代理店人生を過ごすことになることも視野に入れておかねばなるまい。
(場合によっては他の代理店さんとの合併もありうることだろう。現に他の個人代理店さんとの提携は始めているところで、今回はいずれ当社に合併いただくような格好になる予定である)

かれこれ25年以上も続けている仕事である。同業の先輩・友人・知人たちが一人、また一人とステージから降りていくのを見ることもある。
また別のステージで活躍する方々もいるし、単にハコを替えただけの方もいる。

まるで「グリーンマイル」に登場するポール・エッジコムのような気分だ。

2014年9月12日金曜日

亀戸

私は足立区を拠点として、現在の妻と結婚してから早いもので20年になる。たぶん浮気らしきことは一度もしていないはずだけど、貧乏暮らしが長いもので到底立派な亭主とは言い難い。

一方江東区亀戸が生まれ故郷の私は、高校卒業までの18年間をここ亀戸で過ごしたわけです。
(間もなく50歳になろうとしている私、計算上そこに生まれる空白の10年に何をしていたかはまあ良いでしょう)

そんな折、色々色々色々・・・・あって近所に住まう実母(74歳)が唐突に「死ぬなら生まれ故郷の亀戸で死にたい、、、亀戸に帰りたい!」と言い出した。
基本的にネガティブで欲の薄い母。
亡くなった父の後ろでひっそりと生きてきた母のこと、この希望はよほどのことと思い、お金はないけど出来るだけの事をしようと思い、早速亀戸でアパート等の物件探し。
色々情報をかき集め、よさげなところをいくつかピックアップ。不動産屋との同行よりも前に現地の視察を独自にしておこうと、久しぶりの亀戸散策。
路地から路地を抜け、小中の同級生の家の横をすり抜け、目的地へと地図も見ずにズンズンと突き進む僕(ちなみにここ数週間、体調最悪の病院通いの僕であった為、日曜日にも関わらず家内も付き合ってくれた・ありがとう)。

話を元に戻そう。
既に足立区で20年近く住んでいるのである。でも近所のスーパーに行くのさえ、時々道を間違えるし、ふと来たこともないような見知らぬ街に出ることもしばしばである。

それが亀戸に戻った途端、もちろん狭い土地とはいえ数年に一度来るか来ないかの場所でこのサクサク感はいったい・・・。
小さいころ(若い頃)にインプットした情報は何故にこうも忘れずにいられるのか。そして老いるとともにホントにモノ覚えが悪いったらありゃしない。

友人の水野君が10代の頃から歌っているDeep Purpleの「Burn」て曲ならスラスラ歌えるのに、最近の曲は覚えるのにしごく苦労するという。

亀戸の土地・地図が頭の中で活き活きと浮かび上がってくる。
脳とは不思議なものです。

そんなちょっとした出来事でした。

2014年9月11日木曜日

再開・絶叫blog-4

絶叫ブログ閉鎖から早数年。

Facebookへとシフトしたものの、人の価値観は百人百様。
見たくもない人の投稿(特に「キサマは偽善者か!」と思わせる内容の投稿)や、またはFacebook上の友達が推した辟易とするほどの数の「いいね!」の投稿を強制的に見させられるウンザリ感。

そのようなFacebook上の友達なんか削除してしまえばいいし、勿論タイムラインに出てこないようにする方法も知ってはいたけれど、そこまでは出来なかった、というよりだんだん面倒になってきたわけで。
あれこれ面倒くさくなって思い切ってFacebookから離脱したわけです。

よって気になる人や本当のオモシロ投稿は見れなくなってしまったのがとても残念だけど、長文傾向にある僕のこと、こうして以前のようにダラダラと書きたいことを勝手に書いて、見たい人だけが見て下さる。。そんな感じに戻そうと思った次第です。

※ちなみに以前のブログを一旦閉鎖した理由はこのような公開の場で書いたことを斜め読みされ誤解して受け取る人がいたり、書きたい事がだんだん感情的になってしまったりと、少しずつ本当に書きたいことが書けなくなってしまったことが一因なわけで、その課題は相も変わらず残されているけど、それはそれおいおい解決してゆこうと思っています。

Facebookを商売の道具にするもよし、こうしたブログもそういった側面はあるわけだけど、人それぞれ思いや発信の仕方は色々ある。
よって今回の「再開・絶叫blog-4」はあくまで僕の独り言。

人の悪口もバンバン書くし(笑)、商売に直結する宣伝ももしかしてするし(それはこのブログでは規定上ダメなのか)、はたまた世間も知らない重大情報をリークするかもしれない(笑)。

そういったいつも自分勝手な私・仲山の想いを発信する場所とさせていただきたく思います。