2023年1月24日火曜日

新宿へ。16年ぶりの訪問 その②

なぜゆえに3代目さんというか。

僕が12年間勤務し、生意気放題にしていた会社さんで師事していたのは実質上の創設者たる「故・野田英輔氏」である(本当の創設はその奥さんの房子常務だけどね)。

一方2代目は「野田T氏」である(まだお元気らしいのでお名前は一応伏せます)。英輔氏の実弟であり(末っ子らしいので10才くらい年が離れている)、現会長職に就かれているとのこと。この方とは正直反りが合わなかった。僕も彼も悪いのではなく、あくまで相性の問題なのでこれは仕方がない(僕が黙ってハイハイいうこと聞いていればよいのだろうけど、黙っていないので仕方がない。悪いものは悪いと歯に衣着せなかったから。)。

その2代目さんのご子息が「野田K氏」・現3代目社長さんである(50才くらいと言ってたかな)。
僕との仕事の絡みはたしか2年くらい。当時は正直捉えどころのない男という印象だった。しかし野田一族のサラブレッドではあるわけで、業界特有の経験値さえ積めばきっと出来る男になるだろうという見立てもあった。そしてその経験値を積むためには、そして彼のことを思えば僕はこの会社にはいない方がいいだろうと思ったことは本当だ…(別にカッコつけてるわけではないよ)。
キャラが被る、というよりはいつかきっと彼にとって僕は邪魔な立場の人間になると直感した。それもあり、かつ先の前編でも書いた通り、メンタルがきっとやられていたこともあった為、身を引いた。
というのがこの会社を離れた正直なところだ。もう退職して16年も経っているのだ、お話ししてもいいだろう。当時の会社にいた人たちからは散々退職理由を聞かれたけど、こんなこと誰が言うかいな。今は誰も聞かないけど・笑

そんな現社長/3代目とお会いし、正直驚いた。
スカしたやつという当時の印象はまったくなくなっていて(言い方!)、闊達な空気を纏ったナイスガイになっていたのだ。これは僕を前にしてのパフォーマンスなのか、本当の姿かはわからない。それでもきっとこの変貌ぶりは、この16年で随分ご苦労をされたのだろうか。
あれこれ昔話をしながら、直近の仕事を共有し、今後のご縁をお約束し、その日はお別れをした(ランチまで誘われたが抜歯直後でそれどころではなかったのが残念)。

こんないい会社に仕立て上げた3代目現社長のことを思えば、故・野田英輔さんも、野田房子さんもきっと晴れがましいことだろう。
現会長さんともそのうちお会い出来たらいいけど、また悪態ついてしまうかもしれないからそれはやめた方がよろしかろう。

そして気付けば僕の会社も16年経ったということだ。3代目社長に負けぬよう、故・野田英輔さんの名に恥じぬよう、まだもう少しだけ頑張ろう、と決意したそんな新宿への訪問でした。

2023年1月8日日曜日

新宿へ。16年ぶりの訪問 その①

前回投稿のいわゆる後編のその①です(なが・・・)。
2023年度・東京都の小学校団体様から正式に団体保険の募集許可を得ましたので、その為に以前僕が12年間の会社員時代を過ごした新宿の保険代理店さんへ16年ぶりにお訪ねしてきたお話となります。(ん?12年、16年?なんだって。それくらい古いお話ということ)

あれはまだ僕が37才くらいのことだったと思う。当時、東京都小学校関連の団体さんにおける保険募集の担当者としてお任せをいただき、その立ち上がりから3年くらいはほんとにノイローゼになるんじゃないか、いやきっとメンタルはやられていたのだと思うほど大変な有り様でした。
保護者さんからのクレームで散々お詫びに行ったり、中には5時間以上軟禁され、詰問攻めにしてくる保護者もいたり。またはその団体さんらを敵視するような輩も中にはいたので、その標的になることもしばしば。
夜中に大汗かいて飛び上がってしまったり、朝起きてみたら枕に大量の抜け毛があり奥さんから心配されたり。毎日成果を出すために必死で、周囲のスタッフさんや保険会社さんのサポートもありながら何とか結果は残せたと思います。軌道には乗せたという自負はあった。しかし当時の一部上席の方々からは僕やスタッフのその働きに対しあまりよくは思ってはいなかったようだけど。

そんなこんなで激烈な数年を過ごしたことも遠因となり、損害保険募集人としての気持ちが保てず、退職(かつ保険業界から引退するつもりでもあった)することを決断したのです。

そんなストレス満々だった思い出深い団体さんらと今回お仕事として関りを得られる事で、しかし当時の僕の仕事を引き継ぎ、今もご活躍の現・社長さん(3代目さん)との今後の円滑な関わりは必須と感じていたため、メンタルも癒えた今、16年ぶりにその所属会社さんへご挨拶へ伺った次第です。
正直楽しみと同時に怖くもあった。僕の悪口を言う方々の噂も聞いていたし(誤解もあるのだけど面倒だからほっといたわけで)、その会社の門をくぐるや否や、冷たい視線を浴びせられるのではないかと不安にも思っていた。

しかしそんな心配は稀有に終わり、会社の前まで来たらK林女史とばったり出くわし、立ち話。もしかして嫌われているかもしれないが、明るく優しく接してくれました。
会社の入り口を案内され、右左をキョドついてしまったが、正直に言えば会社の雰囲気が明るく変わっていたことに困惑した。それにたまたまかもしれないけれど、人も多く(保険会社さんかな?)活気があり、やはりこれは現・社長の3代目さんの好影響か。K藤君もいたし、名前を忘れてしまった方も何人か目についた(失礼だよね、ごめん。)。

そしていよいよ現・3代目とのご対面なのです。(つづく)

2023年1月7日土曜日

終わりの在り方について③

明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
お正月も一週間が過ぎようとしている今日、年末~年始にかけて忙しく過ごさせていただきました。せわしなく落ち着きのない僕のこと、ちょうど良い時間の過ごし方でした。

さて、「終わりの在り方について」の連続、第3弾となります。


もういいでしょう、解禁しても。ということで前回、神奈川県での新規お仕事についてのお話をチラリとだけ致しましたが、今回は本業たる損害保険についてとなります。

前回も書きましたが、今年で僕は59才。還暦という見方でいえばあと1年。ひと昔前の企業さんなんかでは定年間近。店じまいを懸念する年齢といってもおかしくはない。幸い自営業なのでスタッフのみんなが許してくれるならいつまででも仕事は出来るのだろうけど、でも年寄りが迷惑をかけてもいけないので引き際は大切だ。そのあたりはスタッフさんとよくお話をしてきました。

そんな引き際を検討していたところ、かつて僕がお世話になっていた会社員時代に取り組んでいた東京都の小学校団体さんにおいて、損害保険のかけ方についてお悩みだという情報を耳にしました。

早速、様々な“つて”を頼りにその団体さんの会長さんや役員の方々と公式にお会いする機会を得、あれこれ手順を踏みふみ、ようやく昨年の12月頃に口頭ではありますが、正式採用のお許しをいただいた次第です。
※おかげさまで当社ではそのやや特殊な保険をお取り扱いしてもいいヨ、という旨を保険会社より許されていましたので、そこは保険会社ご担当者様に感謝です(ご担当のS木さん、O野さんありがとう)。

その後、かつてかかわりのあった方々へ仁義を通し(言い方!)、各方面へのネゴシエーションも整え、1月末~2月中旬頃には正式にリリースとなる予定です。
正直どれほどの成果になるかは未知数で、しかし“よくて普通”だと思う。経費も考えれば損益ギリギリ。下手すれば赤字になるかもしれない。それでもこうしたご縁をいただいたこと、そして今後次のステップ(各地方)に繋がるかもしれないという期待を思えば、これは当社としての特長・特色になりうることの為、大変嬉しく大事なことです。

そうはいっても年月は待ってはくれない。“僕自身の終わりの在り方について”は変わらずすぐそこに横たわっている。それは今回のことを通して、数年後なのか、十数年後なのかはわからなくなったけど、この2種(保険と医療)のお仕事の責任を全うするためにはもうしばらく頑張らなくてはならなそうです。


一方で僕の所属していた会社さんもその東京都の小学校団体さんから別の保険のご契約で公式なご採用があるわけで、そこはご迷惑をかけぬようしっかりご挨拶といきさつをお話せねばと16年ぶりにお訪ねしたわけです。そこは色々と思うこともあるのでまた次回に。