2018年2月20日火曜日

尊厳

再投稿。
前回「虐待」として題した投稿はやはりこうした場で書くには問題があると判断。
削除したのですが、自身への備忘録として再投稿しようと思いました。
改めまして、イースタンユース吉野氏とライター宮崎氏によるインタビューが心に残っているのでその一節をカンタンに引用。

「死ぬほど辛かったら逃げ回ればいい。自分を抑圧する全てのものから。ホギャーと生まれてから死ぬまでの時間は誰のものでもなく自分のものだ。なりたいようになれるし、生きたいように生きられる。だから自分の大切な価値観を見失ってしまったり、尊厳を奪われてしまったりした人はそれを取り戻すまで逃げて逃げて逃げ回ればいい。自分さえ取り戻せればちょっとくらい腹が減っていても平気ですよ」

すこぶる同意、というより共感、というより救われた。

かの有名なアニメで「逃げちゃダメだ逃げちゃダメだ・・・」の一節がある。
僕はとても弱い人間だ。
だからこそこれまで出来るだけ逃げずに、様々なことに立ち向かっていけるよう自身を鼓舞してきた。
でもさすがに手に負えない人はいる。
自分にとって相性の悪い人、意地悪な人、思い込みが激しく自分の見たいものしか見ない人。。。
(もしかして自身も他者よりそう思われているかもしれないということは意識するようにしている)

世間とは個人である。太宰治が書いていたはずだ。

幸いここまでメンタルと診断されたことはない、なりそうでならない。
ある人からワーカホリックじゃないの?と言われたことがある。夜中、仕事の悪夢を見て大汗かいて飛び起きることがあるからだ。
強迫観念も人一倍強いし、また人の顔色が気になり右顧左眄ばかりしている。

ここまで辛くても逃げずにいることがいくつかある。
そのことに直面すると、手が震え、声は上ずり、喉がカラカラに乾く。
そのことに直面すると僕の尊厳は失われ、ズタズタに切り裂かれてしまい、胸の前で手を合わせブルブルと祈ってしまうほどだ。

でも「逃げていいのだ」という言葉を目にした途端、苦しみは何一つ変わらないけど、逃げ道が出来たことが何より僕の気持ちを楽にしてくれた。

僕に関わる全てのひと、または関わっていなくてもたまたまこの投稿に目を留めてくれた人。
もし自身の尊厳を脅かされるほど辛く、もしその原因を作っている人間がそばにいるのなら、そのこと、その人から逃げてほしいということをお知らせしたい。
人それぞれ苦しさや痛みは千差万別。
世間(個人)の尺度なんかで図らず、ご自身のことを一番に考えてほしい。

2018年2月19日月曜日

友人のライブ

日曜日。休日出勤にて某私立中学校でのお仕事を終え、夕方より浅草のライブハウスへ友人の音楽活動を見に行ってまいりました。

この友人A氏とは社会人になってから知り合いとなり、お仕事上の付き合い含め、スポットでの音楽活動もご一緒させていただいたりと、何やかやでもう20年近くの関係となりました。

そのA氏がご自身の高校OB会的な催しに出演されるとのこと。お誘いをいただいたわけです。

僕にとってライブは基本出演するものであり、単純に人様のライブを観に行くという行為は本当いつぶりだろうか。
たぶん7~8年前に横浜で開催されたミスチルさんのライブ鑑賞以来である。
(もちろんミスチルさんは日本の商業音楽におけるトッププロであるので同列にすべきではないか・笑)

一方僕がこれまでに出演させていただいたライブハウスの中では、今回の浅草・「Gold Sounds」さんはハコとしてはかなり良い印象でした。中でも何が良いって「ステージの幅」と「照明」のバランスがとても良かった。
観るのと出るのでは大違いかもしれないが、次回何かの時に出演させていただくならここがいいなと思いました。
具体的には僕は演奏の際、すぐ隣に誰でもいいからプレイヤーがそばにいないとイヤなので、今回のハコは3名並んだらちょうど良い幅感に見えました。
そう本当ならぶつかる位近ければ近いほどヨイ。広いステージで隣のボーカルまでの距離が2mなんてところは緊張しいの僕では居てもたってもいられない。

一方A氏の演奏は高校の時から組んでいるバンドだけあって、息もぴったり、A氏のギタボとしてのポテンシャルも相当に高く、久々血が騒いでしまった。(惜しむらくはA氏のギターの出音、ハイが強すぎて少し耳に痛かったことか)
早速僕も家に帰ってから小平奈緒さんのオリンピック金メダル獲得の瞬間を見ながら、きちんとギターの練習したことは言うまでもない。

そしてそのA氏のバンドさんでは高校生の頃より所属していたサイドギター担当の方が2~3年前に亡くなってしまったとのこと。
そう、僕らももう53才だ(A氏とはたまたま同い年)、そうしたことは身近に起こる年齢となった。
僕の所属する川崎のバンドでも鍵盤担当さんが昨年お亡くなりになってしまったし。。。

いくつまで音楽活動を続けられるかわからないけど、今回のA氏も僕も大好きな音楽を通して知り合え、縁を続けてこれたわけで。これからも音楽仲間を大切にし、今このときを大切にしてゆきたい。そんな久々のライブ鑑賞でした。

2018年2月18日日曜日

Gとの闘い



資料1.Gの出現
Gとはあの名前を言ってはいけない黒い生物のことである。
忘れた頃に家の中のありえないような場所に突如現れては、人々を震撼せしめ、家の中を大混乱の渦に陥れるあの黒い生物のことだ。
本日、某私立中学校にお仕事で出かけたときのこと、廊下の壁面にGに関して生徒さんが研究したと思しき資料が縦2m、横1mに渡り、びっしりと貼られていた。

中にはGの拡大写真まで映し出されていたため、さすがに直視出来なかったが、しかしその調査結果には感嘆すべきことがらが散りばめられていた。
一部を紹介しようと思う。

資料1.Gの出現:皆さんは夜、お仕事や学校終わりで家の中でくつろぎ、お茶を飲んだり、スマホをいじったり、そんなスイッチオフのタイミングで彼が現れたとき、見なきゃいいのに見つけてしまったときどうなさるだろう。
生徒さんのアンケート結果で意外だったのが「逃げる」が半数を占めていたことだ。
もちろんアンケートは中学生を対象としているため、その他の家人がいる事を前提としていることを忘れてはならない。
よって『逃げる』カテゴリの中の「助けを呼ぶ」が具体的アクションなのだろう。
一方かくいう僕は一応家長である(実際の支配者はわが妻である・・)。
その為私は「助けを呼ばれる側」ゆえ、「逃げる」も「逃がす」も選択肢にはない。
我が家にアポも取らず、土足で踏み込んでくるような輩を許すはずもなく、私は彼奴らを完全に殲滅するまでその闘いを終わらすわけにはいかないのだ。
(名誉のため、最近では長女も長男もその聖戦に力を貸してくれるようになったこと
を追記する。)

資料2.武器
資料2.武器:ゴキジェットなどの「飛び道具系」と、「打撃系」の代表格たる新聞紙が61%を占めていることがわかる。
私も武器は右手にゴキジェット、左手に新聞紙である。
飛び道具で動きを弱らせ、そして何重にも畳んで強化した新聞紙でとどめの一撃を加えるのである(彼奴は死んだフリをするから、実際はこれでもかと打撃を加える)。

一方で特筆すべきは資料2.のその他(29%)の項である。
スリッパ、洗剤、母、おばあちゃん。。。
「おばあちゃん」!
私も実はG殲滅作戦における選択肢としては「おばあちゃん最強説」を唱えるものの一人だ。
幼少のころ、私が愛してやまないこの「おばあちゃん」の家に遊びに行ったとき、楽しい時間も束の間、よもやのGが案の定何の前触れもなく出現。
その家の家族や我々がキャーキャー大騒ぎするその場におばあちゃんは軽やかにあらわれ、皆さんご存知の通り瞬速を誇る彼奴を皺くちゃなその手でいとも簡単に捕獲したのだ。
驚愕の『素手』である!!
そう、繰り返そう。5cmはあろうあの黒光りし、長い触覚がウネウネとしているアイツを『素手』でぐわし!と捕まえるのだ!
もう一生忘れられない瞬間である。(ある意味トラウマになってしまったかもしらん)

しかし時代は移れど、この某私立中学校さんの生徒さんの中に「おばあちゃん最強説」を唱えるものがいたことを私は本当に誇りに思う。
会った事のないその若者におお同志よ!わが友よ!OH、キモサベ!と叫びたい気持ちを抑えるのにどれほど必死だったかを。

以上です、スミマセン。また長文になってしまった(笑)

2018年2月4日日曜日

ギターとセッティング②

エフェクターが大好きなのです。

ただいま昔馴染みと組んでいるハードロックバンドと、昨夏に新たに知り合った、川崎で古くから活動している老舗ハードロックバンドさんの計二つに所属させていただいています。
どれだけハードロックが好きなのだ、とお思いでしょうがそうなんです。その通りなのです。。。自称イカれギター弾きでございます。
(ちなみにポップス系歌ものバンドにも所属していたので、近いうちにまたもう一度そちら寄りのバンドは組みたいと思っています)

前置きが長くなりました。

写真が現在の僕のエフェクターボード(2018/2月現在)。
必要最小限(最小限過ぎるか)、でも見た目は大事、出音はもっと大事がモットーです。

ご存知の方は一目見ておわかりの通り、いわゆる歪み系しかありません(笑)。ハードロックだから細かいことはまあいいか、てなもんで、ディレイもリバーブも何もない。
歪み量の操作と質感を変えるのみ。

その中でも特にループを組んでる銀色のヤツ(VOCU)、スイッチャーといえばいいのかな、これが大変優れもので。
さらにこの銀色をもっと活かすための右端にあるちっちゃい黒色の筐体。これはただのフットスイッチなのですが、この小さな相棒と銀色君のおかげで、4つの歪み種類を足元でカンタンに操作出来るようにしています。(ちなみに小さな相棒は京都のハンドメイド屋さんにお願いして作っていただいたものです)。

以上オチもなにもなくて何だけど、現在の僕の数少ない趣味の一つたるエフェクターボード大公開でした!

2018年2月3日土曜日

保険代理店とポイント制度②

保険代理店のポイント制度について、第2回。
業界の方だけお読みいただければ十分。

ただいま保険会社主導型のあるプロジェクトへのお誘いをいただいています。
簡単にいえば多くの代理店さんをひとまとめにして、大型代理店を1店作り、そちらの業務管理者として当社が合流するというもの。昔からよくある手法ではあるが、一つ大きく異なるのはモーター系チャネルの統合であるという点。
他の保険会社でも既に行われていることなのだろうけど、今回はちょっとわけが違うらしい。詳しくは書けない点、一応気遣いしようと思います。

そこはそれ、当社がどのように関われるか、関わらないか。
プロジェクトが求めるハードルは決して低くないし、当社も当社なりのハードルを下げるつもりはない。
しかしそのプロジェクトを主導している方には大変恩義もあるし、フィーリングも合うため、当社が関われなくとも最終的にうまくいってほしいと切に願っています。

そんな中、いわゆるモーター系代理店さんの手数料ポイントがかなり優遇されていることは業界の方なら周知の通りだが、それを今回目の当たりにした。別のご担当者からも「そこはやはり別格ですよ」というコメントを耳にしてしまった。

我々はいわゆる専業=プロ代理店と呼ばれる、保険業だけでメシを食っている人間である(実際は少し違うけど)。
保険のプロ=保険会社の手を煩わせることなく自立し、法令を守り、そしてお客様に最良のサービスを提供出来るもののことである。(時に保険会社の社員も、プロと呼ばれる代理店もよからぬことをするので自戒してほしいと思う)

一方モーター系代理店さんが自立していないとはいわないけど、でも我々プロから見れば特にコンプラ対応は目に余る代理店さんが多数いる(という印象)。
たしかに自動車保険の販売占有率はハンパではないが、自動車保険1台の保険料と他の種目の保険料が同額であったとして、なぜゆえに自動車保険を販売するものに価値があり、そしてそのポイントを図る上での力点が置かれているのか僕にはまったく理解できない。(業界に長くいるくせにそのあたりの現状をよくわかっていない)

いまさら差別だ!と文句を言うつもりはないし、そんなの意味がない。保険会社はモーター系チャネルが大好きなんだから。
好きで好きで仕方がないのだ。どんなに振り回されても、イヤミを言われても好きなんだから仕方がない。ハタから見ればある意味盲目的になっているといわざるを得ない。

※ちなみに僕も昨日とある機関代理店さんのおエラいさんからイジワルを言われたから「そんなこと言わないで下さいヨ!」とニコニコして返し、おエラいさんも『ワハハ!ガンバれよ!』なんて声をかけていただいたが、内心ドス黒い気持ちを抱いていることをヤツは知らない(笑)。保険会社さんも一部のモーター系チャネル代理店さんに同じような気持ちを抱いているとしたら、体を壊さないよう気をつけてほしいと思う(いわゆる自営部の人たちはホントに大変だね)。

とにもかくにも、モーター系チャネルは別格とのこと。成績の悪いプロは下の下。
ウチのスタッフさんから「なぜ仲山さんは独立しようと思ったのですか?」と屈託なく聞かれたので、「正しいこと(仕事)をしたいからだヨ」とエラそうに答えた。もちろん独立していなくとも正しいことはいくらでも出来るけど。。。皆まで言うまい。

僕は保険会社の定めるポイントがいくら悪くとも、保険代理店として正しい仕事をしたいからしがみついてでももう少しだけこの業界にいるのだ。いたいのだ。
お世話になっている皆さん、これからもどうぞよろしくお願いします(笑)

2018年2月1日木曜日

死ぬまでにやっておきたいこと。その1

浅草ビューホテルへ行ったときに偶然見つけた
浅草今半さん。
30年も前に見た映画で「異人たちとの夏」という、かの大林宣彦さんの映画がありました。

その映画も最終盤、主人公の風間杜夫さんと、(風間さんの両親であり)夫婦役の鶴太郎さん、秋吉久美子さんが浅草今半さんですき焼きを食べるシーン。

当時の記憶ではそのノステルジックで切ないシーンに胸が熱くなってしまったことだけが、今も頭の片隅に残っています。(なぜかはよく覚えてないのです)
そんなシーンを観て、多少のお金が出来たらいつか浅草今半さんで(実はそんなにすき焼きは好きではないけど)食事をしたいと思っていました(外食は吉牛やCoCo壱、時々てんやがメインの僕にとっては相当高級だもんね)。

昨年少し(実は少しどころではないが)体調を悪くしたもので、こりゃいつ死んでしまうかわかったものではない。明日死んでもいいようにやりたいことを早めにしておこうと思い立ち、その第一段のやりたいことが「浅草今半さん」での食事なのです。

家内から長男の受験が無事済んだら一緒に行こうよと言われています(優しいね~)。
その家内とは結婚してから24年ほどが経ちました。
子供たちもずいぶん大きくなりました。
ムリせず、でももう少しだけ頑張って、やり残すことのないよう、でも自由に参りたい。

あることがきっかけでこの「自由」について書いてみたいと思います(気が向いたら)。
(以上オチもなにもないお話しでした。所詮日記だからね)