2025年9月25日木曜日

闘病日記・そのゼロ(結腸膀胱瘻について)

闘病日記を書こうと思う、自身の備忘録として。また元気になったときに読み返してその反省を自身の行動に結びつけるため。

それは10年近く前のことだ。とてもよくしてくださるドクターHと友人Kとで食事会をしていたときのこと。ドクターHが唐突に「仲山君、おしっこするとき、緑色のドロドロみたいなの出ることない?」大腸憩室炎を患っている僕のことを気遣ってくれた発言だった。ん?あるある、あまり気にしていなかったけど。
「それね、憩室炎と膀胱がくっついてしまうことで起きることだから気を付けた方がいいよ」。

そうは言うけど、どう気を付けてよいかわからない。大腸憩室炎に関してはかなりひどかったけど、よくなるものじゃないしな、、、とやり過ごしてしまった。

そして10年近く日々痛む大腸憩室炎をだましだまし過ごしてきた今年の8月。明らかに尿に便らしきものがポツポツと混じっていることに気づいた。。。いや、正直に言えばもっと前から気づいていたけど、自分で否定してきただけだ。僕のは違うと。

しかし現実を直視しなければならないほどその映像はひどく、どす黒い尿の中に便の塊が混じって噴出されているのだ。尿道の激しい痛みとともにその衝撃映像に「うーーっ!!」と一人トイレで呻く。
ある日などはおしっこと共に数日前に食したラーメンの中の「メンマ」が出てきたことがあった。おしっこの出口からメンマだよ、これは痛むどころの話ではなく、衝撃的なその絵に絶望を覚えた(そのうちに笑い話になればいいけど)。

ご存知だろうか「グリーンマイル」という感動映画で主人公の一人・看守のエッジコム主任が、膀胱炎を患いながらおしっこをするシーン。エッジコム主任曰わく「カミソリを出しているかのような痛みだ」というセリフとともに、ある晩では痛みで脂汗をかきながら苦渋に溢れた表情でおしっこをしながら膝をつくあのシーンを。

それぐらい痛い。ジンジンと痛む尿道を抱え、大汗をかきながらヨロヨロと立ち尽くす(痛すぎてすぐに座れないのだ)。

その後すぐに文献を読み漁り、「結腸膀胱瘻」という疾患であること、これは手術以外に治す方法がないこと。それらを看護師たる奥さんにも正直に告白した。

8月2日(土)近所の泌尿器科を受診し、やはりこの疾患であることが確定。すぐに他院を紹介してもらったのだけど、紆余曲折の末、先ほどのドクターHに相談・ご紹介していただいた順天堂大学医学部附属順天堂医院にお世話になることとした。


*参考までに大腸憩室炎で定期的に通院していた東京女○○○の医師からは「水を飲んでおけばいい」と一蹴、吐き捨てられた。
毎日ガブガブ水を飲んで便で常に汚染されている膀胱をキレイにしておくことは理屈上は理解できるけど、ヘタをすれば腎臓に影響も出るこの疾患を「水飲んでおけ」はないよと、心底がっかりした。この病院のこの医師には二度とお世話になりたくないと思ったわけです。

その後は順天堂医院さんであれよあれよという間に検査漬けの日々、この世のすべての病院検査をこなしたんじゃないかと思うほど検査に明け暮れた(心臓も患っているので慎重になって下さったのだと思う)。

そして手術日まであと数日となった今日、メンタルは穏やかでない。
大腸肛門科の主治医のドクターが「この手術、大変なんだよね。1日がかりになるから。他の科の協力も仰ぐしね」
あ~この手術って大変なんだ。全身麻酔なんてしたことないし。それに大腸切除は物理的にわかるけど、穴の開いてしまった膀胱はどうするんだ?(よもやヌイヌイ!とかするわけじゃないだろうし)

術後も色々あることは覚悟している、おそらく僕はオストメイト(人口肛門)になるのだろう。
主治医の先生が言う。「このこと(人口肛門の造設)を事前に了解・覚悟してくれると僕らも安心して執刀できるんだ。」と。
別にオストメイトになりたくてなるわけじゃないけど、覚悟を決めなければなるまい。だって手術後に自分のおなかを見て絶望したくないもん。ある日このことを想像しすぎて奥さんの前で不覚にも涙がこぼれてしまった(情けない)。

世の中にはたくさんのオストメイトの方がいる。僕よりももっと重篤な方もいるだろう。それでも五体満足だった自身が機能的に変わってしまうことを受け入れるにはまだ時間が必要だと思う。
信頼するドクターHも今日「術後は何かと不自由だけど頑張れ」とメッセージをくれた。

奥さんはこのオペ+入院生活を前向きに応援・支えてくれている。

これからの闘病生活と変わりゆく自身の日々を書き記そうと思った。
同じ疾患を抱えている人の目安になればと思う。

2025年9月11日木曜日

音楽とわたし

「部屋とワイシャツと私」みたいなテーマですが、内容は全然違います。

家族はもちろんですが、一部の親しいお客様や友人、仕事関係の皆さんには現在僕の健康状態(疾患)についてお話しをしています。
そう、色々な活動が制限されることから、事前にお話をしておかないと迷惑をかけてしまうから。そういう意味において開示しているわけです。
また今後僕の生活スタイルも激変することになると思われるため。

正直変わってしまうであろう自分との心の折り合いをつけるには時間が必要で、今も葛藤をしている(まだまだ受け入れられるかは自信はないけれど、命あっての物種だと言い聞かせている。。)。

そんな中、現在活動を休止している音楽活動(自身の所属するバンドやサポート活動すべて)も今後復帰出来るとは到底考えられず、先日、自暴自棄というわけではないけど、手元の音楽機材をあらかた売却してしまった。
でもまた元気になって音楽活動に戻れる日がきたら改めて購入すればよい、とも思ったわけです。

するとどうだろう、もう楽器を演奏出来なくなってしまったと感じたその瞬間、モーレツな楽器演奏欲が噴き出し、売却せずに残しておいたギター片手に猛練習を始めてしまったのです(普段サボってばかりなのに、メトロノームでリズムを刻みながらひたすら反復)。

いやいや、やはり仮にバンド活動やサポート活動に戻ることは出来なくとも、一人で楽器を演奏することは可能だし、 やはりエレキギターの生音ではなく、アンプで爆音を出したいよね(ご近所迷惑・笑)、ということで楽器機材をあらかた売却してしまって1週間も経たないうちに、アンプを買ってしまった・・・(RolandさんのBlues Cubeというシリーズです)。

よく失って初めてその存在の価値や大切さを知るとはいうけれど、音楽が僕にとってこんなにも身近で大切なものとは思わなかった。

現在、加療している大学病院でもある日問診票の片隅に「生きがいは何ですか?」といった項目があり、そこに迷わず『音楽活動』と記入した。ヒアリングいただいた看護師さんからもリップサービス込みで「へえー、音楽されるんですか?いいですね!なんの楽器を演奏されるんですか!!」なんて質問をされ、気恥ずかしさとともに回答する、、、還暦を迎えた60歳の僕が「読書や映画鑑賞やゴルフやジョギング」ではなく、『音楽活動』と書けることに少し誇らしさを感じたし、その活動を許してくれる奥さまや、一緒に音楽活動してくれる仲間たちに本当に感謝している。

これから主治医さん曰く大手術(1日がかりらしい)が待っているので、そこから先の障害を背負って生きるであろう僕にバンド活動等へ復帰出来る様子はまだまったく想像できないけれど、でも音楽演奏が寄り添ってくれることを忘れずにいたいと思った。