幸福と不幸は変転するものだという意味の故事成語とのこと。
捨てる神あれば拾う神あり。ちょっと違うかな、でも日々嬉しいことがあれば辛いこともあり、それらは代わる代わるやってくる。
よって一つ一つの出来事を落ち着いて評価し対処するようにしています。(なので人によってはいつも冷めているとか何とか、時々誤解されることもある)
2020年度は多くの人が困難な時を迎えていると思う。あえてそれらをこの場で列挙することは控えますが、当社もご多分に漏れず冷静ではいられない状態です。
これまでも様々なピンチを迎えては右往左往しながら、そのピンチをチャンスとばかりに(僕なりに)頑張ってきた。お客様や友人、家族、多くの支えのおかげで何とかふらつきながらもここまでやってきた。
いまこの大ピンチも知恵と工夫で何とか頑張ろうと思っている。多少の痛みは伴うだろう。それでも命あっての物種だ、何とかなるさ!ってね。
そんな折、今年も友人の経営するドラム教室で、その生徒さんによる「ドラム演奏の発表会」が催される。
生徒さん一人ずつ好きな楽曲を1曲、バンド形式で演奏するというものだ。もちろんドラムの生徒さんが主役なのでステージ上で一番目立つ位置に配置、ボーカル、ギター、ベースなどがその脇を固め、演奏のサポートをする。
そのバンド形式のサポートメンバー(ギター)として今年もお声がかかりました(ぱんぱかぱーん!)。
楽曲も既に一部を教えていただいているので今から楽曲理解に努め、生徒さんの演奏に対し、精一杯サポート出来ればと思っています。
一方そのドラム発表会の主催者は僕の親友(ドラムの先生)とその奥さん(スタジオオーナー)なのであるが、今年はやはりコロナウィルスの影響もあり、毎年の運営とは趣が異なるという。そしてそれ以外にもいくつかのネガティブな話も聞いている。
中学時代の同級である僕らは40年以上の付き合いで、あっという間の55才になってしまった。
禍福は糾える縄の如し、お互いいい年で、これからも様々な禍福があることだろう。
バカな僕はこれまで散々迷惑をかけて来たり、そんな僕のことを懲りずに支えてくれたりもした。失うわけにはいかないその彼の支えとなるよう少しでも役に立てればと思っている。
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最後に禍福は糾える縄の如し、鬼滅の刃96話で鬼の一人(妓夫太郎)が自身の人間だった頃を回想し放った一節でもあります。
妹の梅を殺され、絶望のただ中で「どうしてだ? “禍福は糾える縄のごとし”だろ」「 いいことも悪いこともかわるがわる来いよ」
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先日このくだりを急に思い出し、今のこの環境で正しい表現かどうかわからないけれど、きっと乗り越えられると信じて書きおこしてみた次第です。
どうぞお気に留めず(笑)