10年以上前に亡くなったそんな父のことは実は大キライであった。
新潟出身の父は家では比較的寡黙であり、しかし仕事(電器店を経営)ではいつもニガイ顔をして、新潟弁で怒鳴りまくっているという印象を強く覚えている。
また僕に対しては厳格な父親という印象があり、行儀や振る舞いなどについて、(ガミガミというよりは)怖い顔で一言強い口調で叱責・注意をする。なのでいつも僕は父から一定の距離を取り出来るだけ関わらないように接していた。
さらには時々デリカシーのない言動も発する。「根性なし!」「情けない!」などなど。小さい頃はそうした父の振る舞いや言動にいつも傷つき、ビクビクしていたと思う。
そんな厳格で僕にとってはとても怖かった父ではあるが、僕が19の頃(父は46才頃だ)家業だった電器店を潰してしまった(当時2~3店舗あったろうか)。
経緯や事情はともかくも父は借金をこさえ、僕は当時たまたま親とは同居していたため、江戸川区松江のアパートから正月早々の1月2日、夜逃げをすることとなった。。。
・・・夜、深刻な顔でなにごとかを相談する父母。そして僕のことを呼びつけ「ヒロ(僕のこと)、夜逃げするぞ。お父さんとお母さんとは別々だ」。こんな感じだったと思う。
僕は父母と離れ江戸川区東新小岩のぼろアパートに一人暮らしとなり、
父母は行方不明となった。
実はそのときが初めて父からの呪縛のようなものから解放された瞬間だったかもしれない。
甚だ不謹慎ではあるが、厳格で何もかも自分が正しいといった面持ちの父が失脚し、こともあろうに夜逃げなどという無責任な振る舞いをしたことで、僕の気持ちは晴れ晴れとしたのかもしれない。
それから数か月間、当然僕はお金がないためトラックの運転手やら、当時比較的お金になりそうなアルバイトをせっせとこなし生活の維持を図った。
一方、紆余曲折の末失踪していた父母は発見され、最終的に破産宣告を受けたと思う。お金を借りていた方々には申し訳ないと思う。
その頃の記憶は朧気で、父母が隠れて住んでいた家の家財道具には赤い紙(差し押さえ)のようなものが貼られていた気がする。でも父母と離れ、懸命に自立を図っていた僕にとっては正直どうでもよかったのだと思う。
そんな父であるが、その一件以降は穏やかというか、僕のことをある程度認め、適切な距離感で接し合うことが出来たと思う。(また仕事を見つけ父なりに頑張っていたことと思う)
また僕の結婚後はガラにもなく、可愛い置き時計を送ってくれたり、時々父母の暮らす家に寄っては母と穏やかに過ごしている様子も見受けた(実際はわからないけど)。
その後70才頃だったか、病気が見つかり闘病中はさぞ苦しかったと思う。何もしてあげられなかったけれど、好き放題して74年の人生を過ごしてきた父にとっては良き人生だったのだろうと思う。
毎年、誕生日であり命日でもあるその覚えやすい11月14日を迎えるとそんな大嫌いだった父のことを強烈に思い出すのです。
