2025年12月31日水曜日

2025年を振り返る


2025年夏以降はずっと病気治療のことばかりだった気がする。夏前は何をしていたのか、あまり記憶がない。

退院を果たし、年末を迎えた今日。
奥様から「今までと同じ生活をしていたらまた同じこと(病気)を繰り返すからね。食生活しかり、お仕事しかり!」

仰る通りです。ぐうの音も出ません。

とはいえそれは僕も自覚していた。
闘病日記でも記述していた通り、今の僕にとって必要な一丁目一番地は仕事上でのストレスを溜めないこと。ストレスの要素となりうるものを見極め、適切な距離をとること。

自分に言い聞かせるなら、それは決して恥ずかしいことではない、と考える。
同じ業界の損保代理店さんA会長からは以前「おかしなヤツらからは逃げていいんだヨ」とアドバイスをいただいた。
そう僕は売られたケンカは買ってしまうのだ。そうしてその対応の結果如何に関わらず、自分自身をひどくキズつけてしまう。百害あって一利なしだ。

そんな2026年を控えどうするか。

大好きな野球例えで言うならば、大ピンチで強打者を迎えたとき、しかし1塁に歩かせることは出来る場面。よく「くさいコースをついていこう、そして四球になったらそれはそれでヨシ」という指示があると思う。
しかしそうしたケースではくさいところをつけずにコースが甘くなり痛打されるということがよくある。
したがってそうした場面ではベンチがはっきりと指示を出すことが大切とされる。
そう歩かせるなら歩かせる(申告敬遠でよき)。勝負するなら絶対に抑える気構えで。

今回僕のケースでは2026年度は致し方ないとして、2027年に向けこのストレスの元とははっきりと縁を切るということを決めておくことが大切だと思う。

何なら2026年6月に施行される「法令改正・監督指針改正」に向けて、当社の軸足を大きく変える必要もあってよいのだと思う。

これまで僕の出身会社さんや縁のあった方々への意地みたいなものでここまで僕なりに頑張ってきてみたけれど、そうしたわだかまりは置いておき、これからは身の丈にあった、ゆったりとした時間を過ごせるような環境づくりをしてゆくことも必要に感じる(最低限の生活は維持しつつ)。

その為にいくつかの方法があると思うけれど、それはおいおい娘婿でもあるR君とよく相談して決めてゆかねばなるまい。

2025年を振り返るといいながら、全然振り返るほどのネタがありませんでした。
半年近くを療養に過ごしていたようなものだしね。

2026年についてはとにかく健康第一でゆこう。お金は二の次でいいでしょう。

2025年12月28日日曜日

(続)闘病日記・その3

絶食明け、重湯スタートにて、現在は五分粥へと移行。
病院食に関しては様々な意見はあると思うが、その患者さんの状況に適した食材、栄養、塩分等を加味し提供下さっていると理解しています。
しかしながら普段、外食やコンビニ等で購入する濃いめの味付けで作られた食事と比較した場合、味覚的には圧倒的に物足りない。
大変申し訳ないことこの上ないのだけど、どのお料理も少し冷めていて、かつ、味付けとしては平坦でぼんやりしている。その割に量だけはそれなりなので完食することが出来ない。

配膳くださる方から「全部食べられました?」と屈託のない笑顔でニコニコ聞かれると本当に心苦しい。。。

そんな絶食明けからおかげ様で体調は特に変わりなく(良い意味で)、手術後の爛れた患部から相変わらず血が滲むが(穴の開いたままのところから、ズルリと内蔵がとび出てくることは今のところない・笑)、咳・くしゃみなどをしない限りは痛みも少なく、現在は患部と体力の回復を待っている状態です。

よって病院側も症状が安定していると判断、2025/12/28(日)の退院を許可下さいました。
予定通り約10日間の入院にて、第2回闘病生活も終了することになりました。

改めてこの2度の入院を経て感じたことは、「もう入院したくない」という強い思いです・笑。
病気を治してほしくてすがった医療機関なのだから、なに言ってるんだというお叱りはともかく、程度の違いはあれどやはり入院+手術の間の辛さは当人でないと計り知れない。
ということはつまり、病気にならないよう努めるしかなく、それは摂生は言うに及ばず、それ以外の要素=自分で言うのも何だけど仕事上でのストレスを極力溜めないこと。
すべては難しいにせよ、ストレス要因となる事との関係性を見直し、決してムリをしないこと。
売上や体面だとかにこだわりすぎるとろくな事はない。
これが今の僕にとって肝要なことだと思っている。


これまで寄り添って下さったドクターH氏に始まり、多くの医師、看護師、検査技師、ありとあらゆる職責の方々のお世話になり、ようやく自身の内蔵系疾患から開放された日を迎えたわけです(油断禁物)。
そして家族や友人らの支え。
本当に大切な人たちに恩返しをせねばと思いを新たにしましたのです。

とはいうものの、残念ながら第3回闘病生活は今春頃、不整脈の根本解決のために「カテーテルアブレーション」なるオペを受けるため、よもやの入院となりそうです(トホホ)。
次回はこれまでの大腸肛門科ではなく、循環器になるのでドクターら関係者も一新。少し緊張感をもって取り組むことになります。

では以上をもちまして(続)闘病日記を終わりとします(あっさり)。

2025年12月26日金曜日

(続)闘病日記・その2

ストーマ閉鎖手術を受け、ベッド上での絶対安静を強いられた土曜日の午後。ぼんやりと失った人口肛門に思いを馳せる(なんちゃって)。

そんなぼんやりした時間も束の間、かつて人口肛門があった場所には15cm四方のガーゼが覆われている。その右おなかのガーゼに覆われた創部を看護師さんが「見せてくださーい」と言っておもむろに剥がしにかかる。
(手術後あるある→→看護師さんは必ず患部を見たがる。もちろん職業意識上のことと理解しているけど、みんながみんな必ず患部を見たがる不思議)

・・・グロい(絶句)

おなかの上に爛れた火山があるような感じ。直径10cmくらいの山が出来ていて、その中心部たる落ち窪んだ火口(約2cmほど)には血が充満し、一部がどろりと流れ出ている。

これは完治まで何ヶ月かかかるだろう。。。というのが正直第一印象。それでも日々その創部の経過を確認下さる医師や医療スタッフさんらはみな口々に「うん、いいね!」とライトな感じでいう。どこがいいのかさっぱりわからないけど、多くの症例を見てきた彼らが言うのだからきっといい方なのだろう。

そんな折、医師達は手術日当日の土曜日から術後5日目の水曜日まで「絶食」するよう言い渡してきた。この食いしん坊の僕に対してである。
まあ、よくよく考えれば前回は切除+吻合した大腸を守るため、その手前に迂回路ともいうべき小腸の人工肛門が造設されたわけ。
今回はその防護壁ともいうべき人工肛門をなくし、本来小腸が大腸に繋がるための通り道が出来たので(吻合箇所)、食べ物が通ればその吻合箇所に負担がかかるのはいわずもがなである。

そんなわけで、術後の処置は特になし。検査も取り立ててなし(採血とレントゲンのみ)。食事もなし。何にもなし。。。

こりゃ困った。1日が平坦過ぎて退屈を通り越して苦痛の域だ。

そんな状況下において追い討ちをかけるように看護師さんが告げる。「仲山さんの手術日に居合わせた研修医がインフルエンザに罹かってしまったので、仲山さんもその対象ね。部屋から出ちゃダメですよ(ダメとは言ってないか(笑)、ドアを全開にしちゃダメね、と言ってたね)」とのこと。

前回もそうだったけれど、入院時には思いがけないことがいくつも起きる。

これらのこと以外にも様々なことが発生し、病棟内の医療スタッフさんらのご苦労は計り知れない。あんまり書いちゃうと類推の恐れがあるからね、控えますヨ。

いずれにせよやはり入院環境は特殊なのだなと感じた術後5日目までの感想でした。

つづく

2025年12月24日水曜日

(続)闘病日記・その1

メリークリスマスです。
さてさて前回のヘビーな手術と、それに伴うオストメイトとしての日々から約3ヶ月、待ちに待った「ストーマ閉鎖手術」の日がやってきました。
もちろんオストメイトとしての日々は人生勉強としてこれまで経験したことのない貴重で大切なものであったし、これからオストメイトとしての人生を送られる方々に寄り添えるようなそんな人間になりたいと思っています。

そんなストーマ=人口肛門、こちらを閉鎖するための手術を行う日がやってきました。
具体的には右のおなかに出していた小腸を改めておなかの中に戻すという手術です(ざっくり過ぎだけど、全部説明するのは骨が折れるのでお許しください)。

そんなストーマ閉鎖術でありますが、事前勉強はしていたもののドクターからの諸注意を受ける中で特にビックリしてしまったのが「人工肛門が出ていたところ、おなかの穴は塞がない」というもの。
最初は「えっ?」と聞き返してしまいました。
ドクター曰わく「人の体とは不思議なもので、穴が開いたところから肉芽が生えてきて、そのうち塞がるんですよ~」と仰る。そんなものなんだと思いつつも、万一そこから内臓がズル~リと飛び出たらどうするの?と内心ビクついておりました。

そして手術当日(2025年12月20日・土)を迎えます。
3ヶ月前も同じ病院で手術をしているため、落ち着いたものです。それがかえって良くないということは後々になって感じたこととなります。
それはさておき前回同様、朝一番の9時、お約束の青色の手術着に着替え、介助の方に連れられ手術室へと向かいます。
簡単な問診を済ませ、手術台へ(ふむふむこの光景は知っているぞ)。背中へ麻酔の針をゴリゴリ入れられるかと身構えていたところ、いきなりマスクを口元へ与えられ、目がうろんとしてきた。今回の麻酔はこの口元マスクからのみなのだな。と思うや否や、意識が戻ったときには、「仲山さ~ん、手術終わったよ~。」と肩をトントンされる。何度もトントンされる。しつこくトントンされる。
しかしトントンに応えたいのに口は動かない。
そして2~3分ほど経ったころ、ようやく『あ・り・が・とう、、、、ござ~いまし~た』と応答に成功する。
手術部位はもちろん見られる状態ではないが、手術の完了は3ヵ月もの間お世話になった「ストーマ×人工肛門」の機能が終了したことを意味するのです。そしてこのまま順調にいけば、従来通り食べ物は口→食道→胃→小腸→大腸を経て、肛門から便となって排出されるはずなのです。

手術時間はおよそ3時間弱、前回の12時間にも及ぶ大手術と比べれば負担は少なく、今回もまた医師や医療スタッフの皆さんに感謝しかありません。

リカバリー室での小1時間を経て、病室へ戻る(ちなみに隣には小学生と思しき男の子がやはり術後だろうか、痛みと恐らく不安感などで泣きじゃくっている。わかるぞ!がんばれ!)。

前回吐きそうになったストレッチャーでの病室への移動。今回はストレッチャーの上で酔わないよう、意識をしっかり保ち過ごします。
そしてようやく病室へ戻り、ベッド上で体の状況をなにげに確認。

・点滴の管はある
・心電計などのうじゃうじゃもある
・おしっこの管もある
・背中の管はない!
・排液管理のためのおなかのドレーンもない!
・そしてストーマパウチももちろんない!

前回の手術後と比べれば圧倒的な身軽さで手術は終了となったのです。

冒頭述べました待ちに待ったストーマ閉鎖術。
あっけないほどカンタンに3か月間に及ぶストーマとの共同生活が終わりを告げました。

あのおなかに生えた梅干のような、あるいは別の生き物のようにうねうねと動く人工肛門。
そして僕の意志とは一切無関係に胃で消化した食べ物をどろどろの状態のまま昼夜問わずせっせと排出する彼。
さらには3日に1回のパウチ交換の際、人口肛門の彼と共にその周囲の赤く腫れ痛んだ皮膚を目の当たりにする日々。
などなど。。などなど。。。。

しかし何といっても僕の体を守るために造設された機関の一つである人工肛門くん。
さようなら、本当にありがとう。

つづく

2025年12月13日土曜日

(続)闘病日記・そのゼロ

 

闘病日記・続編を開始いたします(大したことないけど)。

(復習)2025年8月より本格的に患っていました「結腸膀胱瘻」。
この疾患の治療の為、順天堂医院の方々のご協力により12時間超に及ぶ手術を受けました。
大腸をばっさり切除し、膀胱も一部を切除し縫合。そして人工肛門の造設という一連の治療によりこの疾患そのものは根治したものと思っています(今のところ)。

(さて本編)この12月末をもって術後3カ月近くになる僕は、前回の手術にて大腸を保護するために一時的に造設された人工肛門を閉鎖するという手術を受ける予定です。

人口肛門による日常生活の不自由極まりない日々により(個人の感想です)、毎日カレンダーを眺めては、その手術を受ける日を指折り数えて待っていたのです。

しかしいよいよその手術日が間近になることで逆に一抹の寂しさを感じているような。。。「ストーマ・ロス」とも言えそうなそんな気の迷いも感じています(イヤ決して違う、断じて違うと言い聞かせる)。

とにかくも12月に入り、入院+手術前恒例の検査漬けの日々が始まったわけですが、これがなかなか一筋縄ではいきません。
特に今回、心電図の検査を行ったところ、いつもの僕であればささっと終わって特に問題もないはずが、こともあろうに「不整脈」が出ているとのこと。

それもちょっとやそっとではない波形だったのか、現場の技師さんらは大慌て。
複数の技師さんが何度も機器を見まわし、さらに幾度も計測をして「いやいや、やっぱりこれはちょっとまずくない?仲山さん何ともない??
以降の検査は中止して至急外来に行きましょうね」とか何とか。僕自身はすこぶる元気だったため、部屋の陰で技師さんらが「きっとこの人はこの状態がいつもだから、普通になっちゃってて何にも感じてないんだよ」と言われる始末。(ひどいな、もう~(笑))

その後緊急的な枠かなんかよくはわからないけれど、予約で一杯の循環器のドクターさんの診察を受けさせていただくことになりました(感謝です)。

その循環器のドクターさん曰く、「やはりこの波形は尋常じゃないから本来なら早めに入院してもらってカテーテルアブレーションのオペを受けてもらって治さないとダメなやつよ。
特に狭心症を患っていて、前回手術のときには血栓も見つかって、そして今回は不整脈でしょ。三拍子揃っちゃってるよ~」と静かに告知するドクター。よもや冗談でも言っているのか?と思ったものです。。(最近順天堂医院の医療スタッフさんからやけにイジられることが多く、僕ってそういうタイプだったっけ?と)

しかし病院では決して自己主張しない僕ではあるけれど、人口肛門の閉鎖手術だけは何がなんでも行っていただきたい!そんな思いを涙目で訴えた(大げさ、そこまでじゃあない)。

そんな思いを汲んでいただけたかどうか、循環器のドクターさんも「仕方ないね、薬で良くなるか見てみましょうか、まあストーマの閉鎖術くらいなら平気かな~」とのことにて一安心。とはいえその日はホルター心電図(24時間心電計を付けっぱなし)を装着させられ、僕の上半身にはストーマパウチやら心電計やらで、まるで改造人間、サイボーグのようなありさまで帰宅したわけです。

一方肝心要の大腸肛門外科の主治医の先生にも即座に情報共有いただき、「技師さん達もプライドを持ってやっているからこれらのことは尊重してあげてね」と。もちろん文句を言うつもりなどこれっぱかしもないため、こちらも一安心。

関係する医療スタッフさんの気が変わらぬ内に残りの検査と入院予約を行い、12月下旬、人口肛門の閉鎖手術を受けるべく準備をするのです。

フフン!

2025年12月12日金曜日

オストメイトとしての日々を振り返る


今日は風が強いだろうか。
事務所の窓が風でガタガタ響き、仕事をしていても心なしか落ち着かない。東北方面で何度か発生している地震のニュースもとても心配だ。。。

さて昨日(12/11)は「術前外来」という、手術を控えての麻酔科、口腔外科、入院前の諸注意などの診察・説明を受けさせていただきました。ついでに不整脈が疑われた循環器内科の診察も受けて参りました(こちらは後日、2月頃より本格的に治療に入る予定です)。おかげ様で順天堂医院さんに関しては様々なことの勝手にすっかり慣れてしまった(笑)。そして今のところ突発的なことがない限り、月末に再度入院+手術を行うこととなりました。

そこで改めてこの3ヵ月弱にわたるオストメイト(一時的人工肛門/回腸ストーマ)としての日々を振り返ってみようと思います(内容説明は控えます)。

①回腸ストーマを造設したことで、大腸にモノが通らないせいか、またはそもそもの疾患が手術により根治したことによる影響かはわからないけれど、とにかく腹痛が皆無になりました。
おかげ様で食いしん坊な僕は奥さんが作ってくれるごはんを毎日おなか一杯に食べられる幸せをかみしめています。

②一方、回腸ストーマから排出される水様便・泥状便は入院中と変わらず大量で、僕の体はただの食糧通過管と化しているのではないかと思うほど。おかげで1日に何度トイレに便を廃棄していることだろう、恐らく20回は下らないと思う。そのせいで外出は憚られる為、不自由極まりなかった(もちろん外出先でトイレに行けばよい話なのだけど、そういう問題ではなかった)。

③上記同様の理由とともに、外出中、万一ストーマパウチに不測の漏えい事故が起きたらと想像するとそれは恐怖でしかなかった。よってよほどのことがない限り長時間の外出は控え、かつ電車に乗ることもせずにいる。
(ついでに言えばストーマから排出されるガスの音も気になり、電車内ではいつもそわそわし通しだった)

④ストーマパウチの接地面、右腹部・皮膚の肌荒れもかなり悩みの種だった。回腸ストーマの特性として、このアルカリ性の水様便はどうしても皮膚に付着し、肌荒れの原因となってしまう(今のスト-マパウチはとても良く出来ているけれど、完全に防ぎきれるものではなかった)。
この真っ赤にただれてしまった皮膚のヒリヒリは当初痛くて痛くて仕方なく、看護師の奥さんのケアで現在はだいぶ良くなったものの、もしこれが永遠に続くかと思うと絶望を覚えた。

⑤ストーマパウチの交換は3日に1度としていたのだけど、その交換時には改めて自身のストーマ(梅干しみたいな子)を直視することになる。
少しだけ面白いのは、このストーマは右のおなかにあるのだけど、パウチを外した途端、急にウネウネと上へ下へ、右へ左へと勝手に動き、時に開口部がクワッ!と開き、パウチを交換している最中にも関わらず容赦なく便を放出する。
まるで生き物であり、結果この3ヵ月間この子に慣れることは出来ずにいた。。。
もちろん忌むべきものというわけではなく、いわゆる粘膜の塊なので常におそるおそるという感じで接していました。

多くの方が身体的事情を抱えストーマを造設して以来、このことを克服し、きっと前向きに生きていらっしゃる(と思う)。
永久ストーマと一時的ストーマではもしかして心の持ちようや、覚悟が異なるのかもしれない。それを差し引いても僕はオストメイトとしての日々が辛かった(まだ終わったわけではないけれど)。
その生活に良い点もあったけれど、それよりも日々の生活の質が下がること、自身のメンタルのステ振りにこのストーマ部分が50%以上持っていかれることが本当に厳しかった。これも辛さの要因のひとつと思う(他のことを考えにくいのだ)。

世の中に多くのオストメイトの方がいることを知りました。
専用のトイレがまだまだ少ないことも知りました。
自分は人工肛門なんだよ、とかつて告白してくださったお客様に対し正直ぴんと来ていなかったことも知りました。
この経験は自分の体をもって実体験として思い知り、今後オストメイトの方に対し少しでも寄り添うことが出来ると自信をもって言える。何が出来るかはこれから考えたいけれど、この経験を忘れないよう、ブログに書き記しました次第です。(面白くなくてごめんね~)