2025年12月25日木曜日

(続)闘病日記・その2

ストーマ閉鎖手術を受け、ベッド上での絶対安静を強いられた土曜日の午後。失った人口肛門に思いを馳せてみる(なんちゃって)。

そんなぼんやりした時間も束の間、かつて人口肛門があった場所には15cm四方のガーゼが覆われている。その右おなかのガーゼに覆われた創部を看護師さんが「見せてくださーい」と言っておもむろにガーゼを剥がしにかかる。
(手術後あるある→看護師さんは必ず患部を見たがる。もちろん職業意識上のことと理解しているけど、みんながみんな必ず患部を見たがる不思議)

・・・グロい(絶句)

おなかの上に爛れた火山があるような感じ。直径10cmくらいの山が出来ていて、その中心部たる落ち窪んだ火口(約2cmほど)には血が充満し、一部がどろりと流れ出ている。

これは完治まで何ヶ月かかかるだろう。。。というのが正直第一印象。それでも日々その創部の経過を確認下さる医師や医療スタッフさんらはみな口々に「うん、いいね!」という。どこがいいのかさっぱりわからないけど、きっといい方なのかもしれない。

そんな折、医師達は手術日当日の土曜日から術後5日目までの水曜日まで「絶食」するよう言い渡してきた。この食いしん坊の僕に対してである。
まあ、よくよく考えれば前回は切除+吻合した大腸を守るため、その手前に迂回路ともいうべき小腸の人工肛門が造設されたわけだ。
今回はその防護壁ともいうべき人工肛門を閉鎖=離れていた小腸と大腸側の小腸を繋げているわけで、その繋げた箇所に食べ物が通れば吻合した箇所に負担がかかるのはいわずもがなである。

そんなわけで、術後の処置は特になし。検査も取り立ててなし。食事もなし。何にもなし。。。

こりゃ困った。1日が平坦過ぎて死ぬほど退屈である(ここまで半年、大変な思いをしたのだから簡単には死なないけど)。
そう!気が付いた。
1日3食のごはんタイムを失ったいま、それは1日24時間を彩るべき貴重なイベントのひとつだったのだ。
これからごはんタイム(おやつタイムを含む)はすべての事柄に感謝をし、有り難くいただくことにせねばと心に誓う。

そんな中、相変わらず夜は眠れず、食事は摂れず、院内での隔離状態にだんだんノイローゼ気味と同時にメンタルが壊れそうなそんな予兆が始まる。
体が震え、イライラが募り、いても経ってもいられず、「ここから出してくれー!!」と叫びたい衝動に駆られる。

そんな状況下において追い討ちをかけるように看護師さんが告げる。「仲山さんの手術日に居合わせた研修医がインフルエンザに罹かってしまったので、仲山さんも隔離対象です。」とのこと。
前回もそうだったけれど、入院時には思いがけないことが多数起きる。

ぶるぶる震える手でスマホ片手にググる。

<入院 ヒマ ストレス>

するとどうだろう、当然といえば当然だが、よほど重篤な方でない限りこの退屈さに皆さん辟易とし、同じような悩みをお抱えのようだ。

さらに医療機関側も今すぐに治療出来ることはないけれど、経過観察として院内で様子を見ておきたいという職業意識(責任意識)が少なからず働くという。

これら甚だ簡易で安易な調査結果ではあるが、自分一人だけが取り残されたようなそんな孤独感がかなり薄らぎ・落ち着き、メンタルも取り戻すことが出来たようだ。

右隣も左隣もみんな同じ。入院患者さんはみな退屈で大変なのだ。なので医療者側を困らせず、出来るだけその医療方針に協力的でなければならない。

こんな当たり前の事を忘れるほど、やはり入院環境は特殊なのだなと気づいた術後~5日目までの感想でした。