2025年11月23日日曜日

漏えい事故/オストメイト

 

漏えい事故というのだそうだ。

約2ヶ月前、手術を控えていた頃、オストメイトになることを半ば覚悟していた僕は、あれこれと悲観的な想像を中心に各種文献や失敗談、またはそれを乗り越えられた方々の貴重なコラムなどを読み漁っていた。

そんな経験談の中、やはりオストメイトとしての一番の恐怖はストーマパウチからの便の漏えいではないだろうか。そう、腹部に装着したストーマパウチが身体から外れるなどして、中に蓄積していた便が思いも寄らぬ場所で漏れ出、周囲に便と悪臭を撒き散らしてしまう阿鼻叫喚の地獄絵図のことだ。

特に公共交通機関などでは、きっと電車内の女性の多くがいかめしい顔つきで口元に手をやり、蜘蛛の子を散らすようにして車両を移動。その他の方々は「ん?くせーなー」とかブツブツ言いながらおならをした犯人を探すべくキョロキョロし出すのではないだろうか。

そんな電車内での状況を想像しては恐怖心が募るばかりである。それを証拠に僕は退院後既に1ヶ月も経つというのにいまだに電車に乗れていない。。。

特にイレオストミー(回腸ストーマ)である僕は、その便の性状として常に下痢状態である。かつ30分とそれら便が出ていないことはない。ストーマからは常に液状であったり、泥状のものが出ているため、気が気ではない。

そんな恐怖の象徴たるストーマパウチからの便の漏えいがついに起きてしまった。

つい数日前の朝一番(7時頃)、事務所内で内務作業用のズボン(チノパンです)に履き替えようと、スーツのズボンを脱ぎ脱ぎハンガーを手に取った瞬間のこと。パチンと音を立て、手に持っていたハンガーと右腹部に装着しているストーマパウチが触れ合い、引っ掛かった。

ん?危ない危ない、なんだなんだと思うや否や、紛うことのなきあの香り。なんでいま僕の周りに便の匂いがするのだろうと思うと同時に、手と服の一部に茶色の便が付着していることに気が付いた。

訳も分からずパウチの表と裏を念入りに調べていると、ちょうど便を排出させる出口付近のビニール部分が約1㎠程度、サイコロ位の大きさの穴が開き、そこから既に溜まっていた便が漏れ出始めていた。

絶望する気持ちと同時にその漏えい事故の被害を食い止めるべく取り急ぎ穴の開いた箇所をガムテープで塞ぐ。そしてトイレへと向かい、応急処置を施した。

あとは念のために事務所内のあちこちを消毒、汚れた衣服を取り替えるべく、一度自宅へと戻り、交換用のパウチセットを手に再び事務所へ。

事務所内の出来事だったことを不幸中の幸いとして評価すべきなのか、そもそも着替えなどしなければこんなことは起きなかったのか。

とにかくもそのときの心情としては一言「悲しい。。。」である

オストメイトになってしまったことは仕方がない。それでも自らの排泄物の一部をパンツの中でならまだしも、シャツやズボンや事務所の床にこぼして、それをいそいそと掃除している僕。

多くのオストメイトの方には申し訳ないけれど(自分もそうだから)、やはり僕は健常者ではないのだ、ということを痛感させられたのです。

オストメイトであることを受け入れ、一時的とはいえストーマと共に強くありたいとは思っていたけれど、とうとうここまで踏ん張ってきた僕の心がポキンと折れた瞬間、出来事でした。

とはいえまだまだ続くオストメイト生活。このオストメイト生活を恨んでも仕方がないし、いちいち落ち込んでいるヒマはないのだ。あるがままを受け入れ、平常心でいること。今はそれだけで十分と言い聞かせています。

2025年11月19日水曜日

雑記(闘病日記・その3.8くらい/相原コージさんへの感謝)


退院してから1カ月と少しが経過しました。おなかのあちこちに開いていたキズの痛みはほとんど治まり(というよりすごくかゆい!)、ストマ部分のみが相変わらずストレスである以外はまずまず順調に(否、ゆっくりと)過ごしていると思います。

その2週間ほどの入院中、かなりメンタルはやられていたのだと思います。そんな中救いとなったのが、僕の好きなマンガ家のひとり相原コージさんの作品で「うつ病になってマンガが描けなくなりました(全3巻)」です。

疾患の種類は違えど、入院前~入院中など、相原さんが体感した日々の心の揺れ動きにとても共感したのです。

当時の僕はやはりどこかおかしかったのでしょう。普段読んでいるジャンププラスもX(旧ツイッター)も新聞やTVもまったく頭に入ってこず、さらには時々入ってくる仕事のメールもほとんど手につかずにいました(もちろん入院中だからロクなことは出来ないけど)。

そんな中、術後2日目くらいになにげに読んでみた同作品に引き込まれ、入院中おそらく3往復くらい読んだのではないかと思います。
同書ではマンガが描けなくなってしまった相原さんがうつ病で闘病中、その何ということはない日常の1場面を丁寧に描き、そしてその描写に僕は「わかる!わかる!」と大きく頷いていました。
そしてそのあまりに細かすぎる描写に対し、相原さんもこんな思いをしているのだから、僕にもきっとこの日々・時間を耐えられるはずだと勇気をもらっていました(本当はそうした類の作品ではないと思うけど・笑)。

ほんのささいなことではあったけれど、退院したらこのことを書き記しておこうと思っていたのですが、ものの見事に忘れていました。。。

相原コージさん。「コージ苑」「かってにシロクマ」以来、ずっと応援しています。本当にありがとうございました。
また年末~年始に予定している再入院の際は必ず読むことでしょう。

*病院食はどこも似たようなものでした




2025年11月14日金曜日

父の命日

今日(11/14)は亡き父の誕生日であり、命日でもある。
10年以上前に亡くなったそんな父のことは実は大キライであった。

 新潟出身の父は家では比較的寡黙であり、しかし仕事(電器店を経営)ではいつもニガイ顔をして、新潟弁で怒鳴りまくっているという印象を強く覚えている。
また僕に対しては厳格な父親という印象があり、行儀や振る舞いなどについて、(ガミガミというよりは)怖い顔で一言強い口調で叱責・注意をする。なのでいつも僕は父から一定の距離を取り出来るだけ関わらないように接していた。

さらには時々デリカシーのない言動も発する。「根性なし!」「情けない!」などなど。小さい頃はそうした父の振る舞いや言動にいつも傷つき、ビクビクしていたと思う。

そんな厳格で僕にとってはとても怖かった父ではあるが、僕が19の頃(父は46才頃だ)家業だった電器店を潰してしまった(当時2~3店舗あったろうか)。
経緯や事情はともかくも父は借金をこさえ、僕は当時たまたま親とは同居していたため、江戸川区松江のアパートから正月早々の1月2日、夜逃げをすることとなった。。。
・・・夜、深刻な顔でなにごとかを相談する父母。そして僕のことを呼びつけ「ヒロ(僕のこと)、夜逃げするぞ。お父さんとお母さんとは別々だ」。こんな感じだったと思う。

僕は父母と離れ江戸川区東新小岩のぼろアパートに一人暮らしとなり、
父母は行方不明となった。

実はそのときが初めて父からの呪縛のようなものから解放された瞬間だったかもしれない。
甚だ不謹慎ではあるが、厳格で何もかも自分が正しいといった面持ちの父が失脚し、こともあろうに夜逃げなどという無責任な振る舞いをしたことで、僕の気持ちは晴れ晴れとしたのかもしれない。

それから数か月間、当然僕はお金がないためトラックの運転手やら、当時比較的お金になりそうなアルバイトをせっせとこなし生活の維持を図った。

一方、紆余曲折の末失踪していた父母は発見され、最終的に破産宣告を受けたと思う。お金を借りていた方々には申し訳ないと思う。
その頃の記憶は朧気で、父母が隠れて住んでいた家の家財道具には赤い紙(差し押さえ)のようなものが貼られていた気がする。でも父母と離れ、懸命に自立を図っていた僕にとっては正直どうでもよかったのだと思う。

そんな父であるが、その一件以降は穏やかというか、僕のことをある程度認め、適切な距離感で接し合うことが出来たと思う。(また仕事を見つけ父なりに頑張っていたことと思う)

また僕の結婚後はガラにもなく、可愛い置き時計を送ってくれたり、時々父母の暮らす家に寄っては母と穏やかに過ごしている様子も見受けた(実際はわからないけど)。

その後70才頃だったか、病気が見つかり闘病中はさぞ苦しかったと思う。何もしてあげられなかったけれど、好き放題して74年の人生を過ごしてきた父にとっては良き人生だったのだろうと思う。

毎年、誕生日であり命日でもあるその覚えやすい11月14日を迎えるとそんな大嫌いだった父のことを強烈に思い出すのです。

2025年11月8日土曜日

術後せん妄(闘病日記・その1.5)

術後せん妄なるものをご存知だろうか。
詳しい定義は知らないけれど、長時間の手術や全身麻酔などの影響で幻覚を見たり、暴れてしまったりする忘我状態と理解しています(違っていたらごめん)。

僕も手術後は大暴れしたようで(闘病日記・その1)、もう一つ、入院中、それも術後1週間くらい続いた状態について書き記しておこうと思います(これはお聞かせするというより、もう一度全身麻酔による再手術+再入院するので自身への備忘録として)。

当時、入院中・手術後の病室内は暑く、かつベッド上で身動きがしづらい状態にあったことも要因として毎日なかなか眠れずにいました。それと夜中、1時間ごとかどうか看護師さんが点滴の様子などを見に来てくださるので、そのたび看護師さんの持っているスマホのライトでピカーと照らされるのでせっかく眠りに落ちかけても起きてしまうのです(文句言ってないです)。

そんな状態もあり、昼夜問わず少しうとうとと眠くなり目を瞑ると一瞬で異様な光景、それも夢なのかわからない幻覚的なものを見るようになったのです。それも今まで経験したこともない、見たこともないような異国の風景(それも中東などの寺院的なもの)の中で過ごしているような、少し恐怖心に駆られる異様な光景を見ることが多かったのです。

そしてそんな異様な世界から、はっと目を覚ますとだいたい10分も経っていないことが多く、その異様な光景について記憶を辿るも、やはり過去に一度たりと見たこともない映像でした。

あとでふとこれは術後せん妄の影響・一つなのかな?と感じたけれど、またドクターや看護師さんらにいらんこと言うと騒ぎになってしまうので奥さん以外には黙っていました。

術後1週間も過ぎると徐々にその異様な光景・映像を見ることもなくなり、自身の守備範囲ともいうべき平穏な夢を見ることが多くなりました。ようやくほっとしたことを覚えています。

また次回再入院の際に全身麻酔を行う予定なので、心の準備を整えておこうと思っています。

2025年11月6日木曜日

終わりの在り方について⑤

写真は2025年オフにメジャーに行ってしまうであろう、ウチの4番の雄姿です。

さて終わりの在り方について⑤。2年ぶりの続きものです。

60歳を過ぎて色々考えることが多くなり、かつ体調はすこぶる悪化(闘病日記をご覧ください)。
あと何年現役で頑張れるか、はたまたどうやって引き際を整えるか。

その第一段というわけではないのだけれど、これまで身の丈に合っていないと思っていた保険会社登録数について、いよいよ収斂(整理)しようと決断。
本日その1社たるM社の方々とお会いさせていただき、2026年末をめどにM社の代理店登録を前向きに解除することといたしました。本件は後日ウチの会社の公式WEBサイトにて公開する予定です。

理由は色々あるのでここでは割愛するけれど、保険代理店としていよいよ本格化する体制整備等を睨み、小規模は小規模なりの生きる道を歩もうと思っています。もちろん進化や拡大を止めた時点で発展も止まることは一般論としてわかっている。
でもそれとはまた考えは違い、ウチが得意としていることに愚直なまでに特化しようと思っているわけです。(もちろん大手がそのニッチなマーケットにやってくればウチなぞ吹けば飛ぶような存在だけれどそこはそれ)

あと4年は現役でいたいと思っているし、あるいはしがみにしがみついて老害になるかもしれない・笑
そんなことをやっているうちに、また気も変わるかもしれない。

まあどっちにしてもなるようにしかならないし、赴くまま、風に吹かれて何とやら。ストレスを溜めないよう、選べる仕事は選びつつ、周囲の力をお借りして、出来るだけ皆がより良くなるよう終わりを見つめていようと思います。

2025年11月4日火曜日

ロックオン(闘病日記その0.5/手術前夜)

同じような疾患を抱え、入院・手術を控える皆様のために。
お恥ずかしながら私のだらしないおなかを公開いたします。(手術前日の僕のおなかです)

決してこれから腹踊りをしようというわけではありません・笑。

おへその上にドクターが青色のペンで二重丸。
「システムだから・・・」とか何とかぶつぶつ言ってたけど、よくわからず。結果、今はこのおへそを中心に縦にざっくりと15cmほどの開腹痕があります(手術は腹腔鏡であり、左右の下腹部に挿入痕があるのだけど、それとは別におへそを中心とした大きな開腹痕があります。切除した臓器をココから出したのかしらん?と思ったり)。

その他4点の黒丸はドクターらが手術の際、ストマ造設の位置を迷わないよう示す印だそうです。
これは手術前夜に看護師さんが現れ、適切なストマ位置を示すため、僕に「ベルトの位置はどの辺?」とか「屈んでみて下さいね」など忙しく、でも丁寧にせっせと書いて下さいました。この黒丸をつけていただく際に看護師さんからお聞きしたところ、この作業を行うには別途研修を経なければならないとのことで、日々勉強なのヨ!とおっしゃってました。大変向上心に溢れていて感心しました次第です。

夜中、一人病室のベッドでこの自身のおなかに描かれた絵を見たとき、「まるで誰かにロックオンされたみたい・・・」と感じ、いよいよ翌日に迫ってきた手術に内心暗い気持ちになったことをよく覚えています。

それから約24時間後、全身麻酔後の僕の体には穴がたくさん開けられ、管がいっぱい生やされ、疾患部位の臓器は切除され、ストマが造設されたのでした。

・・・これを書いている今(術後1か月の11月上旬)、手術を決断したことに決して後悔はしていないし、それどころか疾患部位はだいぶ良くなったと思われます。
しかしストマを抱えたこの生活の大いなる不自由さと大腸の吻合部の安定を図るためのあと2か月。
ストマ閉鎖手術+再入院までの日数を、夜中布団の中で指折り数えてしまうこんなメンタルに対し、まだまだ気持ちをしっかり保っていないと壊れそうな状況にあります。
まだまだ元の生活に戻れない、この足踏みをしている感覚に焦りが募る今日この頃です。

以上、まだ書ききれていない闘病日記の一部を時々小出しに書くかもしれません。