2025年10月4日土曜日

闘病日記・その1

さていよいよ入院して参りました。
9月28日(日)。
奥さんに付き添ってもらっての入院です。

場所は14階、窓の外からは中央線(総武線)がよく見える。
ここでしばらく自身の疾患と格闘することになるのだが、このときはまだまだ呑気だったのです。

少し端折りまして9月30日(火)いよいよ手術日当日。
8:30に青いお決まりの手術着に着替え、手術室まで連れられる。手術室前でいくつか問診を済ませ、いざ手術室へ。

やや狭い手術台の上に載せられ、看護師さんやら麻酔科の先生らから「はい、仲山さんこれから麻酔をしますよ、横向いて手を合わせ祈るようなポーズでぐっと屈んでくださいねー」医療関係者の皆さんはどなたもハキハキとしている(見習おう)。
「ごめんねー、背骨の間が短いからもっともっと屈んでちっちゃくなってー!」と背中にゴリゴリと針らしきものが挿入されている感がある(イタイイタイ!と思いながらもガマン)。一通り背中への麻酔の管の挿入が完了すると「はい、次は仰向けになってこれ吸ってくださいねー」といよいよカップ状のものを口に押し当てられ、「あとは深い眠りについていきますよー」とか何とか仰ってたと思う。

手術終了は15:30の予定だった(約7時間)。

それが手術が終わり、ストレッチャーに載せられ、『病室戻りますよ!!ココどこだかわかる??ジュン・テン・ドー!!!』と周りの人が絶叫している。

ストレッチャーが右に左にとグルングルンと動きまくり、頭の中で「吐く吐く!」と思いながら果たして自室の病室へ戻り、看護師さんらが『いま夜の9時!!!!』(今日も渋谷で5時?じゃないよね)。と再び絶叫している。ぼーっとする頭で12時間近く手術をしていたことを知らされた。そのまままた意識が遠のいて、その前後の記憶はこれ以外ほぼほぼない。

あとから看護師さんらに僕が大暴れしたこと、幸い体に装着された管などを抜かなかったことは不幸中の幸いだったけど、もう大変だったのよ、なんて仰っていたことを聞かされた。
そんなこと言ったって記憶がないんだから仕方がない。そりゃそうだ、朝から夜まで強制的に眠らされ、体の中をメスやら何やらで弄り回され、その後は体中に管がいっぱい生やされてんだから。

とにもかくにも手術中のことは記憶にないし、その後のこともよく覚えていない。
でもまずは手術が12時間という長時間に及んだこと以外、目的通りに果たせたことは告げられた。

あとでふと、「ということは関わっていただいたスタッフの方々は残業したということか、お昼はどうしたんだろう?」とかつまらないことばかりが浮かんだ。


僕の大きく腫れてぐだぐだになったS状結腸はものの見事にばっさりと切除され、その上端にある下行結腸と最下部の直腸とが縫い合わされ、そしてS状結腸がべったりと張り付いていた膀胱は一部を切除され、ヌイヌイされたそうだ。

ついでにいえば、おなかの上に小腸を引っ張り出され人工肛門も形成された(右の下腹部に梅干しが出来た)。これで大腸へは何もモノが通らなくなるので、安全に術後の経過を見ることが出来るそうな。ヌイヌイされた膀胱ももちろんそのままではいかんので、膀胱の中にはカテーテルが埋め込まれ、おしっこは強制的に管から対外に排出される。

何より人工肛門が一番ショックではあるが、これが健康面を支えるための最良策なのであろう。

夜の9時にドクターからウチの奥さんにお電話を入れていただき、僕も夜の11時頃にふと目覚め、メソメソと奥さんに電話をした。一番に奥さんの声を聞きたかった。全身麻酔による気道確保により喉も肺もやられていたため、しゃがれた声で聞き取りづらかったとは思うけど、何よりおくさんの声を聞けてほっとした。

明日来てくれるという。「早く来て!」と言ったけど面会時間は限られているし、奥さんも仕事がある、あとで何言ってんだと思ったけど、辛くて辛くて仕方なかったのだ。

以上、まずは12時間に及ぶ手術日当日の一切でした(といってもほぼほぼ記憶がないけどね)。

*ちなみにこれを書いているのは術後4日目の土曜日です。まだまだ書きたいことはあるけど、またゆっくりとその後の経過を随時お知らせしてゆきたいと思っています。