2026年9月30日水曜日

オペ後1年

*くれぐれもつまらないので読まないで良いです。
自身の回顧録みたいなものです。

 1年前の9月30日(火)。
結腸膀胱瘻という比較的珍しい疾患により、順天堂医院・大腸肛門科にて13時間近くに及ぶオペを過ごしてからちょうど1年が経過しました。

ここ数日、「ちょうど1年が経ったのか・・」という思いと、当時の記憶をわざと反芻するそんな日常でした。
自身、そんなことに想いを馳せて何の意味があるのかわからないのだけれど、当時の強烈な記憶がこの季節感とともにフラッシュバックさせるのかもしれません。

詳細は1年前のブログ「闘病日記そのゼロ~4」を読み返すと良いのかもしれない。

オペ前日の夜。服用するよう指示をされた下剤によりモーレツな下痢をしていました。
病室に何度も看護師さんが訪れてくれたものの、その都度トイレに籠っていた僕に「また来ますねー!」と声をかけて下さった。
ホント、申し訳ないと思いつつ、その下痢は恐らく2時間以上続いたそんな記憶がある。

そしてようやくひと段落した20:30頃、看護師さんが人工肛門を造設するためのマークをおなかに書くので、協力してほしいという。



「やはり人工肛門は決定ですか・・・?」と聞く。
「そうね、そうかもね。。。」と言葉を濁すが、案の定決定のようだった。
人工肛門を作らず何とかしてくれるんじゃないかという一縷の望みは、その会話でいとも簡単に打ち砕かれた。
ひどく落胆してしまったけれど受け入れるしかない。
そうこうするうちに、1時間くらいかかったろうか、右の写真のようなマークをおなかにつけられた。
この黒丸のどれかから人工肛門が造設されるということを知ったのはオペ後なわけです。
(青の二重丸のところはここから切除した内臓をひり出す切開予定の場所のようです)

当日、オペの様子の詳細は以前のブログで書いた通りです。
オペ後翌朝5時くらい、呆然とベッドの上で身動きできない状態の写真が上の顔です。ホントに呆然としている。顔はいささかむくんでもいるようだ。

オペ後3日目。
ようやく自身を取り戻しかけた頃。
おなかのガーゼやら何やら、管だらけの状態を看護師さんがチェックしていたとき、「そうだ、自分も写真を撮っておこう」と自撮り(笑)をしたときの様子です。

・右サイドにストマ。
・左サイドはおなかの排液管理のためのドレーンが刺さり(ガーゼで覆われている)、
・中央部は内臓を取り出したときの切開キズ。
・その他3か所に手術の時の腹腔鏡の穴があいており、おしっこは管からオートで排出されています。

オペ後、初日~3日目くらいまでがどうにもこうにも不自由で、麻酔兼痛み止めの薬が合わなかったのか、夜中に朝にベッド上で何度も吐くし、おまけに肺血栓も見つかったとのことにてなにかの薬が注入されたり、多くの病棟看護師さんのお世話になりました。

本当にお世話になったのです。
だってこんなおじさんのおしっこや便、おまけに吐しゃ物などの処理まで鼻歌まじりに平然と行い、体中管だらけの不自由で動けない僕の体もあちこち拭いてくれたのです。

感謝以外に何があろうか。

そんな1年前の日々は、今は当時の苦しさよりも、徐々に美化されてしまいつつあります。

一番お世話になった主治医のドクターは今年の8月に系列の病院へ栄転されたことを知りました。
その他の医療従事者の方々も少しずつお名前を忘れかけてはいるけれど、病院のSNSなどでお顔を拝見できたときなんかは、とても元気そうなその様子に嬉しくなりました(元気かどうかはわからないよね、大変な職場だもん)。

また明日は順天堂医院さんへ外来診療の為お訪ねするわけだけれど(明日は循環器)、病棟の皆さんの息災を、健康でお元気に、そしてムリをせずお過ごしになられることを心から願っています。

2026年9月26日土曜日

悪夢

小さいころからよく怖い夢を見る。
いまだに怖い夢をよく見ます。

かつて見た怖い夢の記憶(何ものかに追いかけられる夢、歩道橋から落ちそうになる夢など)はだいぶ薄れてしまったけれど、ここ数年よく見る怖い夢はこうだ。

どこかの町の公衆トイレ。
入口をくぐると奥行きはかなり広い。
高速道路の休憩所のトイレなみに広い。

小便器がズラリと10基以上は並び、その裏側には大便器が設置されている個室も同じように7~8基はあるだろうか。。。

しかし入口からすぐのその足元(よくあるタイル調)はビショビショだ。
どこもかしこもビショビショに濡れている。
お掃除後の水で濡れている様子とは違うようだ。。。

靴を履いてはいるものの、そのビショビショに足を踏み入れるのはなにかイヤ。
しかし仕方がない。用を足そうと思い、一段高くなっている小便器に向かうものの、場面は急に切り替わり、大便器の個室を探している僕。

個室の扉を開くたびに和式の大便器は軒並み汚物だらけ、(流せよ~と思いつつ)便器にべっとりとこびりついた汚物を見るたび、扉を閉め隣の個室を改める。
しかしどこもかしこも汚物まみれで、そのまま流さず、ちぎられたトイレットペーパーも便器内に無造作に捨てられている。。。
とても不愉快で、イヤ~な気持ちでいる。

という夢をよく見る。


AI君によれば吐き出せないストレス、解決したくても多くの阻害要因が邪魔をしている様子らしいです。

占いみたいなものだけど、心当たりが多すぎて困ったものです。

以前ウチの奥様が始終体調の悪い僕に対し、「仕事を辞めない限り治らないんじゃない」と言ったことがある。
昨年半年ほど療養していた時、「いよいよお仕事も引退しなきゃかな・・」と、弱気になっていたこともあり迷っていた。
しかし結局また現場に帰ってきました。

先日改めてウチの奥様に「僕は何才まで仕事しなきゃダメ?何才まで仕事していた方がいいと思う?」と尋ねたところ『75才!』と即答されました。

「えー・・75才?」。
まだ10年以上あるやん、こんなストレス満載のお仕事をまだ10年以上続けるのかと思ったらぞっとした。

しかし先日お近づきになったご夫婦は80才と72才。
ご主人はどこかの法人で夜遅くまで大忙し。奥様に至っては現役の作家さんで、地方講演なんかもバリバリこなしているという(ついでに言えばお子様方も脳外科のドクターだったり、AI開発者だったり、なんかものすごい家だった)。

たしかに奥様とはお話をしていても昨今のIT環境にもしっかりついていけてるし、お話しぶりもしゃっきりしていらっしゃった。
(口座振替のお手続きもネットバンクからご対応いただくなど、イマドキの70才オーバーの方でも全然普通に出来るんだな~と感心・・・くれぐれもバカにしていないです)。

そんな皆さんの様子をみて、体調不良に保険会社(及び金融庁)からのプレッシャーなどにウジウジしている場合じゃないなと。

もちろん出来ることには限りはあると思うけれど、心折れている場合じゃない。
まだまだもう少し頑張ってみようかと心新たにしたそんな一幕でした。

2026年9月19日土曜日

PTAとおカネ①

写真は東京農業大学さんの世田谷キャンパス内にある田んぼ。
雨続きの少し前、晴れ渡った日にお邪魔した際、職員さんに教えていただき遠目だったけれど緑豊かな風景に癒されました。
実に良きです。

さて昨晩(2026/9/18・金)は都内から離れ、ウチの事務所からは少し遠めの「N市立PTA連絡協議会さん」の会長会(30校参加)へお訪ねさせていただきました。

19時スタートだったので、自身の体調が少し心配だったけれど(オペ後・後遺症)、少しでも先方のお役に立てるよう、そして自身の体調としても万事準備を整え参加(発作など起きないよう)、おかげ様で無事に過ごすことが出来ました。
市Pさんとはいえ、30校もの会長会となると壮観で、平素は様々なお仕事をされ、そんなお忙しい中、時間を割いてお集りになられたご様子。
PTAさんというと最近は賛否両論あり、各PTAさんで様々な意見を鑑み、改革なども進んでいる過渡期にあると見ています。きっとそれぞれの現場でそれぞれのご苦労も絶えないことと思います。

それにしても相変わらずPTA界隈においては各団体の考えのもと、そこれそ多様なご相談をお受けいたします。
もちろん僕の会社は損害保険の代理店屋さんなので、保険以外のことでお役には立ちにくいけれど、かつて「保険のことだけを知っていても保険はご案内出来ない。また、知ると出来るは違うのだ」ということを教えてくれた方がいました。

PTA界隈のことはPTA関連保険の規定や約款のことだけを知っていてもダメであることを日々体感しています。
「なぜPTAさんがそのご質問をするのか」「なぜそうしたご要望を寄せられるのか」

おかげさまでPTA界隈の保険周りのことに25年近く携わってきているので、様々な団体やそれらに関わる方々の思い、苦悩、確執、はては無関心。。。
それぞれに直接の利害関係がないからこそ生じる問題と感じています。
(利害関係がないことで起きる問題そのものは決して悪いことではないのでしょう。だってガマンする必要がないのだから。)

あとはやはりおカネの問題。
カネの切れ目が縁の切れ目というように、誤解を恐れずに言うならば、いくらなんだってボランティアとはいえ、一切の資金がなければ何も出来ない(というより限界はあるのだと思う)。

*くれぐれも無償で何も出来ないわけではないと思う。PTAという枠組みではなく、一保護者としてお子さんの為のサポートとして出来ることはあると思う。しかしそれでも結局は任意の人間の善意に頼る必要があり、しかしそこで万一の賠償事故が発生したとしても自己責任で片付けてしまっては誰も何も出来ない、という矛盾にぶつかる(というより怖くてそのボランティアに臨むことが出来ないのではないだろうか)。

(ある単Pさんでは会費不要の完全ボランティア組織に移行したところがあり、しかし保険は必須という。でもお金ないんでしょ?と聞くと「会費の繰越金があるのでまだ大丈夫。しかし将来のことは・・・もうワタシは知らない!」と仰っていました・笑。気持ちはわかる。)

とするとやはり最低限の活動をするためには最低限の活動費用を工面する必要はあるのかと感じる(これは微妙・・・知恵と工夫で乗り切ることが出来ればよいが)。

それは会費だったり、行政などからの助成であったり、企業からの協賛金など、色々なのだと思います。

でもお金が絡むと何年かごとに必ず悪いことをしちゃう人が湧いて出る。。。
これ以上は言いますまい。

あるライターさんの記事で「なぜPTA団体は保険の募集行為をするのだろう、別にどこででも保険は入れるのに。。」というくだりを読んだことがある。

正直核心をついたその問いにドキッとした。
保険代理店とはいえ、金融の端くれであります。
様々なメリットをお客様が享受出来るよう業界の先人たちはあの手この手で知恵を絞ってきた。その知恵を僕も知識の一つとして持っている。

■その一つに団体の保険募集行為で発生するおカネ(法令上認められています)がある。

もちろん純粋に加入者の方(単Pまたは保護者など)にスケールメリットを得ていただく為、という大義はありつつ、募集団体(要は県とか市のPTA上部団体とかね)には「制度運営費」や「集金事務手数料」などが入るような仕組みを作ってきた(もちろんルールに則った上で)。

人によってはそのおカネをキックバックと称している人もいる。
きっとそうしたお金が不純なものという風に見えるのかもしれない。。。

現にそうした収入の一部を私的に流用してしまう人たちもいたりして、その都度大騒ぎだ(それどころか歴史は繰り返す、何度も同じようなことを起こす。業界に長くいるので、ついつい目に触れてしまう。。。)。

とはいえ、本来それは裏金でも何でもないオモテのおカネなので、募集団体はそれを受け取って良いものだ。その代わりそのおカネの収受はしっかり公開し、そして使途を明確にすることがとても大事(当たり前のことだけど)。

でもアタマのいい人はあの手この手で抜け道を探し誤魔化す。
しかしその行いに日々少しずつマヒしてゆき、脇が甘くなり、そしてそのうちに内部告発など含め明るみに晒され、大炎上してゆくという結末を迎えるのだと思います。

やり方としてポピュラーなのは勤務先の会社を使ったり、知人の営む会社を経由したり、はては知り合いの会社の名義だけを借りて操作したりとか。。。

本当にうんざりする。
毎度そうした話を小耳に挟む度、または僕自身がその証拠を見つけてしまったときなどは本当に「いい加減にしろよ」とげんなり、残念な思いを通り越して、怒りすら湧いてきます。

かつてある団体に対して行った保険会社の激甘な振る舞い(費用面)に僕が苦言を呈した際、「あのときの対応・整理はまずかったと思う」と保険会社さんは口にされていた。
反省するだけまだ良いと思う。

恐らく、保険会社とPTA団体、お互いの共依存がゆえに生じた、背に腹は代えられなかったことなのかもしれないけれど、本当に情けないと感じている。

「PTAとおカネ」。

随分以前から書きたかったテーマなのだけれど、この功罪については保険会社も保険代理店も他人事ではないと思っている。

今回はあくまで概要のみとなりますが、次回は過去、僕の目の前で起きていたことを検証してみたいと思います。

2026年9月4日金曜日

9月

9月に入りました。
間もなく62才になる僕はあっちもこっちも痛くて仕方がない。
特に少し前のヒザのケガが元で平地を歩くのもしんどい。なので毎日出来ていた散歩も控えています。。。

なので最近は自転車で活動することにした!
そうブツブツ言っても仕方がない、今僕に出来ることを探してみる。
昼食の為に少し遠くの丸亀製麺やら、ココイチなどに自転車で向い、そのまま昼食後も自転車であちこち近所を走りまくって、そして事務所に帰るというルーチンにしてみた(でも天ぷらうどん食べたり、ソーセージ+チーズカレー食べたり、カロリー消費以上の過剰なカロリー摂取をAIに咎められたけど・笑)。

そう僕は人見知りの陰のものではあるが、実はこう見えて不屈の男なのである(と言い聞かせている)。

先日も4年来の大きなマーケットから撤退したことで、2027年度以降の売上はそれこそ大激減するでしょう。

しかしそれがなんだ!
撤退に関する理由には揺るぎないものがあるので、一切後悔はしていない(その後のことは関係者の皆様にご不便をかけていることは申し訳ないとは思うけれど)。

おかげさまでその撤退により、該当のマーケットのことをあれこれ考える必要がなくなったことで、脳のリソースが空いたのか。
新たなアイデアや仕組み作りを思いついてしまった。
うまくいくかどうかはどうでもいい(どうでもよくはないね)。
とにかくチャレンジすることが大事。

だいたい人生は思い通りになることなんてそんなにない。
でもそんな道の途中で思いがけない拾い物をすることがある。
結果はろくなものでなくとも、後々かけがえのないものと巡り合うこともある。

だから諦めちゃダメだし、そうしてここ数年でいうなら、帯状疱疹しかり、おなかの大手術しかり、ヒザのケガによる自転車活動しかり、そして今回の仕事上のマイナスなど、あらゆる災厄が降りかかってきたような有様だ。

しかしそのおかげでオストメイトとしての貴重な経験をし、自転車活動へのスイッチ、そして新たな仕組みづくり含めPTA・学校関連のお仕事を再構築しようと思っている。

まだまだ退けないね。

*写真は20年前のノスタルジーあふれるウチの子どもたちである。
今もみんな健やかに過ごしてくれて、本当に親孝行なお子たちです。