2018年2月18日日曜日

Gとの闘い



資料1.Gの出現
Gとはあの名前を言ってはいけない黒い生物のことである。
忘れた頃に家の中のありえないような場所に突如現れては、人々を震撼せしめ、家の中を大混乱の渦に陥れるあの黒い生物のことだ。
本日、某私立中学校にお仕事で出かけたときのこと、廊下の壁面にGに関して生徒さんが研究したと思しき資料が縦2m、横1mに渡り、びっしりと貼られていた。

中にはGの拡大写真まで映し出されていたため、さすがに直視出来なかったが、しかしその調査結果には感嘆すべきことがらが散りばめられていた。
一部を紹介しようと思う。

資料1.Gの出現:皆さんは夜、お仕事や学校終わりで家の中でくつろぎ、お茶を飲んだり、スマホをいじったり、そんなスイッチオフのタイミングで彼が現れたとき、見なきゃいいのに見つけてしまったときどうなさるだろう。
生徒さんのアンケート結果で意外だったのが「逃げる」が半数を占めていたことだ。
もちろんアンケートは中学生を対象としているため、その他の家人がいる事を前提としていることを忘れてはならない。
よって『逃げる』カテゴリの中の「助けを呼ぶ」が具体的アクションなのだろう。
一方かくいう僕は一応家長である(実際の支配者はわが妻である・・)。
その為私は「助けを呼ばれる側」ゆえ、「逃げる」も「逃がす」も選択肢にはない。
我が家にアポも取らず、土足で踏み込んでくるような輩を許すはずもなく、私は彼奴らを完全に殲滅するまでその闘いを終わらすわけにはいかないのだ。
(名誉のため、最近では長女も長男もその聖戦に力を貸してくれるようになったこと
を追記する。)

資料2.武器
資料2.武器:ゴキジェットなどの「飛び道具系」と、「打撃系」の代表格たる新聞紙が61%を占めていることがわかる。
私も武器は右手にゴキジェット、左手に新聞紙である。
飛び道具で動きを弱らせ、そして何重にも畳んで強化した新聞紙でとどめの一撃を加えるのである(彼奴は死んだフリをするから、実際はこれでもかと打撃を加える)。

一方で特筆すべきは資料2.のその他(29%)の項である。
スリッパ、洗剤、母、おばあちゃん。。。
「おばあちゃん」!
私も実はG殲滅作戦における選択肢としては「おばあちゃん最強説」を唱えるものの一人だ。
幼少のころ、私が愛してやまないこの「おばあちゃん」の家に遊びに行ったとき、楽しい時間も束の間、よもやのGが案の定何の前触れもなく出現。
その家の家族や我々がキャーキャー大騒ぎするその場におばあちゃんは軽やかにあらわれ、皆さんご存知の通り瞬速を誇る彼奴を皺くちゃなその手でいとも簡単に捕獲したのだ。
驚愕の『素手』である!!
そう、繰り返そう。5cmはあろうあの黒光りし、長い触覚がウネウネとしているアイツを『素手』でぐわし!と捕まえるのだ!
もう一生忘れられない瞬間である。(ある意味トラウマになってしまったかもしらん)

しかし時代は移れど、この某私立中学校さんの生徒さんの中に「おばあちゃん最強説」を唱えるものがいたことを私は本当に誇りに思う。
会った事のないその若者におお同志よ!わが友よ!OH、キモサベ!と叫びたい気持ちを抑えるのにどれほど必死だったかを。

以上です、スミマセン。また長文になってしまった(笑)

2018年2月4日日曜日

ギターとセッティング②

エフェクターが大好きなのです。

ただいま昔馴染みと組んでいるハードロックバンドと、昨夏に新たに知り合った、川崎で古くから活動している老舗ハードロックバンドさんの計二つに所属させていただいています。
どれだけハードロックが好きなのだ、とお思いでしょうがそうなんです。その通りなのです。。。自称イカれギター弾きでございます。
(ちなみにポップス系歌ものバンドにも所属していたので、近いうちにまたもう一度そちら寄りのバンドは組みたいと思っています)

前置きが長くなりました。

写真が現在の僕のエフェクターボード(2018/2月現在)。
必要最小限(最小限過ぎるか)、でも見た目は大事、出音はもっと大事がモットーです。

ご存知の方は一目見ておわかりの通り、いわゆる歪み系しかありません(笑)。ハードロックだから細かいことはまあいいか、てなもんで、ディレイもリバーブも何もない。
歪み量の操作と質感を変えるのみ。

その中でも特にループを組んでる銀色のヤツ(VOCU)、スイッチャーといえばいいのかな、これが大変優れもので。
さらにこの銀色をもっと活かすための右端にあるちっちゃい黒色の筐体。これはただのフットスイッチなのですが、この小さな相棒と銀色君のおかげで、4つの歪み種類を足元でカンタンに操作出来るようにしています。(ちなみに小さな相棒は京都のハンドメイド屋さんにお願いして作っていただいたものです)。

以上オチもなにもなくて何だけど、現在の僕の数少ない趣味の一つたるエフェクターボード大公開でした!

2018年2月3日土曜日

保険代理店とポイント制度②

保険代理店のポイント制度について、第2回。
業界の方だけお読みいただければ十分。

ただいま保険会社主導型のあるプロジェクトへのお誘いをいただいています。
簡単にいえば多くの代理店さんをひとまとめにして、大型代理店を1店作り、そちらの業務管理者として当社が合流するというもの。昔からよくある手法ではあるが、一つ大きく異なるのはモーター系チャネルの統合であるという点。
他の保険会社でも既に行われていることなのだろうけど、今回はちょっとわけが違うらしい。詳しくは書けない点、一応気遣いしようと思います。

そこはそれ、当社がどのように関われるか、関わらないか。
プロジェクトが求めるハードルは決して低くないし、当社も当社なりのハードルを下げるつもりはない。
しかしそのプロジェクトを主導している方には大変恩義もあるし、フィーリングも合うため、当社が関われなくとも最終的にうまくいってほしいと切に願っています。

そんな中、いわゆるモーター系代理店さんの手数料ポイントがかなり優遇されていることは業界の方なら周知の通りだが、それを今回目の当たりにした。別のご担当者からも「そこはやはり別格ですよ」というコメントを耳にしてしまった。

我々はいわゆる専業=プロ代理店と呼ばれる、保険業だけでメシを食っている人間である(実際は少し違うけど)。
保険のプロ=保険会社の手を煩わせることなく自立し、法令を守り、そしてお客様に最良のサービスを提供出来るもののことである。(時に保険会社の社員も、プロと呼ばれる代理店もよからぬことをするので自戒してほしいと思う)

一方モーター系代理店さんが自立していないとはいわないけど、でも我々プロから見れば特にコンプラ対応は目に余る代理店さんが多数いる(という印象)。
たしかに自動車保険の販売占有率はハンパではないが、自動車保険1台の保険料と他の種目の保険料が同額であったとして、なぜゆえに自動車保険を販売するものに価値があり、そしてそのポイントを図る上での力点が置かれているのか僕にはまったく理解できない。(業界に長くいるくせにそのあたりの現状をよくわかっていない)

いまさら差別だ!と文句を言うつもりはないし、そんなの意味がない。保険会社はモーター系チャネルが大好きなんだから。
好きで好きで仕方がないのだ。どんなに振り回されても、イヤミを言われても好きなんだから仕方がない。ハタから見ればある意味盲目的になっているといわざるを得ない。

※ちなみに僕も昨日とある機関代理店さんのおエラいさんからイジワルを言われたから「そんなこと言わないで下さいヨ!」とニコニコして返し、おエラいさんも『ワハハ!ガンバれよ!』なんて声をかけていただいたが、内心ドス黒い気持ちを抱いていることをヤツは知らない(笑)。保険会社さんも一部のモーター系チャネル代理店さんに同じような気持ちを抱いているとしたら、体を壊さないよう気をつけてほしいと思う(いわゆる自営部の人たちはホントに大変だね)。

とにもかくにも、モーター系チャネルは別格とのこと。成績の悪いプロは下の下。
ウチのスタッフさんから「なぜ仲山さんは独立しようと思ったのですか?」と屈託なく聞かれたので、「正しいこと(仕事)をしたいからだヨ」とエラそうに答えた。もちろん独立していなくとも正しいことはいくらでも出来るけど。。。皆まで言うまい。

僕は保険会社の定めるポイントがいくら悪くとも、保険代理店として正しい仕事をしたいからしがみついてでももう少しだけこの業界にいるのだ。いたいのだ。
お世話になっている皆さん、これからもどうぞよろしくお願いします(笑)

2018年2月1日木曜日

死ぬまでにやっておきたいこと。その1

浅草ビューホテルへ行ったときに偶然見つけた
浅草今半さん。
30年も前に見た映画で「異人たちとの夏」という、かの大林宣彦さんの映画がありました。

その映画も最終盤、主人公の風間杜夫さんと、(風間さんの両親であり)夫婦役の鶴太郎さん、秋吉久美子さんが浅草今半さんですき焼きを食べるシーン。

当時の記憶ではそのノステルジックで切ないシーンに胸が熱くなってしまったことだけが、今も頭の片隅に残っています。(なぜかはよく覚えてないのです)
そんなシーンを観て、多少のお金が出来たらいつか浅草今半さんで(実はそんなにすき焼きは好きではないけど)食事をしたいと思っていました(外食は吉牛やCoCo壱、時々てんやがメインの僕にとっては相当高級だもんね)。

昨年少し(実は少しどころではないが)体調を悪くしたもので、こりゃいつ死んでしまうかわかったものではない。明日死んでもいいようにやりたいことを早めにしておこうと思い立ち、その第一段のやりたいことが「浅草今半さん」での食事なのです。

家内から長男の受験が無事済んだら一緒に行こうよと言われています(優しいね~)。
その家内とは結婚してから24年ほどが経ちました。
子供たちもずいぶん大きくなりました。
ムリせず、でももう少しだけ頑張って、やり残すことのないよう、でも自由に参りたい。

あることがきっかけでこの「自由」について書いてみたいと思います(気が向いたら)。
(以上オチもなにもないお話しでした。所詮日記だからね)

2018年1月30日火曜日

2年ぶりの投稿


事務所からみた夕暮れ
いったい貴様はどこで何をしていたのか!叱責のお声をいただくこと少なからず。

この2年あまりの間、新たな自分を見つけるため世界中を旅してまわり、満を持してここに再始動を果たしました!

・・とでも書ければよかったのですが、何てことはない、平々凡々とした日々を過ごしてきました。具体的には・・・

別事業(医療系)として新しい会社を立ち上げ、優秀なスタッフさんと巡り合い。
しかし本業面では保険会社の施策に翻弄されることしばしば、その影響でひどく体調を崩し、しまいには入院騒ぎにまで発展。
音楽活動としてはバンドをいくつか立ち上げては解散を繰り返し(自然消滅含む)、そんな中で友人を傷つけ(反省)、そして傷つけられ(しょんぼり)、、、。
SNSから全て退会することで(Twitterは閲覧のみ)、精神衛生上はすこぶる健康。。。

だんだん平凡でないような気もしてきましたが、おかげさまで当の本人はいたって元気に過ごしています。
今後は1回の投稿時にあまりたくさん詰め込まず、せめて1週間に1回は投稿出来るよう、仕事のこと、音楽のことなどを中心に書ければよいなと思っています。
(思うだけなので補償は致しかねます・笑)

2016年1月29日金曜日

事務所移転計画③

久しぶりの投稿(1年ぶりだ)。
おかげさまで会社は続いているし、僕も何とか元気にしています。


そんなわけで1年間の間に起きた様々な出来事は改めて書き綴っていくことにして、前回、事務所の移転を決断したところで止まっていたその続きを書くことにします。


具体的には北千住①⇒北千住②(ここがひどかった)⇒そして西新井への再移転としたわけだけれど、この度お仕事での前向きな理由として事務所を再々移転してしまいました(苦笑)。
おかげでお金はすっからかんです。。。


場所は足立区谷在家(やざいけ)という、足立区らしい特徴的な地名で、近くには「日暮里舎人ライナー」という5両編成のモノレールが走っており、立地的にはとても良い場所・物件です(駅から徒歩1分だし、隣にはコンビニもある)。


そして何より重要視したのが自宅との距離。
この物件、我が家の真裏にあり(というより事務所の裏手に自宅がある)、この度の移転理由はこれから多忙を極めるであろう業務を想定し、職住隣接を一義にしたかったのです。(あと非常勤のスタッフさんをいつでもお呼び出来る環境にはしたかったので、少しだけ広めのところとしました)


26歳で独立した折、事務所は当時大変お世話になった方々のご厚意により、共同事務所として居候させていただいていました。その時は机すらなく、事務所内の押入れを開放し、押入れの2段目部分を机としていたという何ともドラえもん的な状態でした(笑)。


それから25年間、紆余曲折はあったものの、僕なんかがこんな立派な事務所(あくまで主観)をお借りしていることに隔世の感を感じるし、逆にこの状態を維持し、さらにステップアップ出来るよう頑張らねばというプレッシャー以外、今は何も感じられないという。。。(ドキドキ)


でもそうした経緯や至る過程も含め、何より家族と大切な友人、そして支えて下さっているお客様に心から感謝しなくてはと襟を正したところです、そして毎日ほぼノーネクタイだったのですが、これから真夏以外毎日ネクタイはきちんと締めようと決めました。(年とったせいかノーネクタイでいると、競馬かパチンコに負けた人のような貧相な見た目なんだよね・・・トホホ)。

2014年12月13日土曜日

事務所移転計画②

久しぶりの大失敗をしました。。。
基本誰にも迷惑はかけていないので良いと思うが、でも経営判断上は大失敗をしてしまった。

そう、あれこれ悩みに悩んで決断した事務所移転計画。

いくつか良い物件・候補はあったのだけど、どれもこれも帯に短しタスキに長し。
最終的には消去法で決めた事務所物件。

条件は悪くなかったのである。
ターミナル駅で、かつ駅から徒歩10分、家賃も安く、宅配ボックスもあり、オートロックもある。
しかしここは当初より直感的に「ナシ。」としてドロップアウトさせた物件だった。

だが先にも述べた通り、消去法で残った物件がここだけになってしまったのだ。
(もちろん移転を延期するという選択肢もあったのだが、諸事情により物件だけは押さえる必要があったわけで)

実際に入居してみると、ここには書けないような様々な事件が起きる。
直接の害は生じてはいないものの落ち着いて仕事など出来たもんじゃない。
当然お客様や取引先なども呼ぶ気になれない。
あと部屋のレイアウト。これが気になりだすと止まらない。
構造上仕方がないとはいえイライラしてきて仕方がなく、おまけに頭痛までしてきた。

結論としては暴挙ともいえる再移転を決断。

勿論それまでに散々探してきて見つからなかったものが早々見つかるはずもなく、またいつまでもグズグズやってはいられないので、再移転を断行するかしないか期限を決めて取り組んでみた。

あちらこちらに声をかけ、これはと思う物件には照会をかける。

そしてその最終期限日。
案の定良い物件やお返事はなく、半ば再移転は諦めかけたその日の夕方、ある不動産業者の担当者より吉報が届いた!

ここから先は再移転先の詳細となるので、まあどうでもよいとして、今回の移転~再移転に至る経緯として感じたことと、周囲からの助言として頷けたこと、それは

「最初に感じたその直感やフィーリングは大切にするべし」

およそ経営者たりえぬ感想かもしれないが、科学的根拠や数字に裏打ちされた論拠もその検証材料としては十分有益だが(数字の世界大好きだし)、その物事に対する直感~いわば好き・嫌いのレベルがことのほか重要だという事を身をもって知ることとなった。
(これまでも振り返ってみればいくつか思い当たる節があったし・・・)

もちろん何でもかんでも好き嫌いで出来るほど都合の良い社会ではないが、少なくとも当社の決定権は僕にあるのだ。
なのでもう少しだけ自分のエゴをもって取り組むべき道を決める
~周囲の有様も大事だけど、僕の好き嫌いで色々決断することも少しは大事かなと感じた次第。

今回、随分高い勉強代になってしまったけど、何度だってやり直せるのだ。

暴挙かもしれないけど、やり直すのだ!という強い決断を下せたことが失敗の中での何よりの収穫でした。

(つづく~再移転先の様子などはまたお知らせします)